【古代メキシコ×STEAM教育】農業と食物、塩

2024年2月7日

前回の記事では、古代メキシコの主食トウモロコシとお米、小麦を比較しました。
今回は遺跡、出土品から、古代メキシコの農業・食物を中心に見て行きます。

20世紀半ばまで、マヤではトウモロコシを中心とした焼畑農業「だけ」が行われていたとされてきましたが、それだけでは大都市に住む人々の食を補うことができないという矛盾が生じます。

しかし、この問題を解決する灌漑水路と盛土畑の痕跡が見つかりました。

マヤ文明 農業の痕跡

カミナルフユ(グアテマラ)には紀元前500年頃から灌漑水路が通っており、長さは最大2㎞、幅18m、深さ8mと大規模なものだったそうです。また、エズナ(メキシコ、カンペチェ州北部)では、紀元前150年頃までに全長31㎞、幅50mもの水路網が建設されてたことが分かりました。

盛土畑は、低湿地の底にある堆積物を積み上げて畝にしていました。
マヤ文明では質の良い土で、生産性の高い農業を行うことができたと考えられています

盛土畑イメージ
畑のイメージ

これは、三角州の農業への利用と共通する部分があるのではないでしょうか。

三角州は、河川によって運ばれた土砂が、湖沼や海などの静水域に堆積して形成された地形のこと。上流から流れ込んだ土砂には、植物にとって有益な物が含まれています。そのため、三角州は農業の発展に大きな役割を果たしました。
ナイル川の河口が三角州、ということを習った記憶があるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

盛土畑は焼畑のように移動せず、同じ場所で作物を育てられたため、人の定住化にも繋がったのではないでしょうか。この他に、段々畑や家庭菜園もあったそうです。

肥沃な土を利用したマヤの農業。
次の三つは、マヤの三大作物と呼ばれています。

マヤ三大作物

この他にも、このような作物が栽培されていました。

  • さつまいも
  • ユカイモ
  • パンノキ(ブレッドフルーツ)
  • キャッサバ
  • 唐辛子
  • アボカド
  • トマト
  • トポシュテ(桑の実の仲間)
  • ハヤトウリ
  • グアバ
  • カカオ

さまざまな作物が生産されていたことが分かります。

マヤで栽培されていた作物(イメージ)
マヤで栽培されていた作物(イメージ)

マヤ地域を含むメソアメリカでは、狩猟採集中心の社会から農耕社会になるまで、数千年かかったと言われています。灌漑水路の建設は王によって行われたので、中央集権的な政治だったことが分かります。

マヤで食べられていた動物たち

こうして見ると、中南米原産の私たちにも身近な野菜がたくさんありますね。
ところで、マヤで「家畜」と呼ばれる動物は、犬と七面鳥のみだったそうですが、たんぱく質は何から摂っていたのでしょう。

調べてみると、マヤ文明に生きた人々は、さまざまな生き物を食べていたことが分かりました。

マヤで食べられていた動物(陸)

  • イグアナ
  • バク
  • オジロジカ
  • 野ウサギ
  • キジ類などの鳥類
  • アルマジロ
  • ホエザル  など

海の生き物も食べられていました。

マヤで食べられていた動物(海)

  • ウミガメ
  • ロブスター、カニなどの甲殻類
  • スズキ、アジ、フエダイなどの魚類
  • 貝類
  • マナティ
  • アシカ  など


これらの野生動物の中には、現代も食べられているものもあります。
日本と同じように海藻も採取されていたそうですよ。

古代メキシコで食べられていた動物
古代メキシコで食べられていた動物(イメージ)

当時食べられていた動物たちは、土器にも描かれています。

動物が描かれた土器
(左:ロブスターの描かれた彩文大皿 右:オジロジカの描かれた彩文大皿(いずれもBIZEN中南米美術館蔵)
 どちらもグアテマラ マヤ低地南部出土 マヤ古典期後期 紀元600~950年 
オジロジカは古代マヤの豊穣のシンボルで、空と太陽に関連する動物でした。
王が催す饗宴等で使用されたと思われる大皿で、いずれも盛る食材を決めていたと考えられています。

魚やマナティの肉は、日干しや燻製のほか、塩漬けにされ保存したり、遠くの地域に運ばれたりしていました。もちろん、古代中南米でも塩は調味料としても使われていました。

塩の精製

毎日の食卓に欠かせない塩は、どのように作られているのでしょうか。
日本と世界では、塩の作り方が異なることをご存知ですか。

世界では、さまざまな方法で塩が作られています。

塩の精製

  • 煮詰め塩(煎熬塩 せんごうえん)・・・塩水を煮詰めて水分を蒸発させる
  • 天日塩・・海や塩湖の塩水を塩田に引き込み、太陽や風などの自然の力で水を蒸発させる
  • 岩塩・・・昔海だった場所が隆起などで海水が閉じ込められ、塩の成分が結晶化したもの
  • 湖塩・・・地殻変動などで海の一部が閉じ込められ、濃い塩水になった湖から塩を取る
リビア アンデスにある塩湖、ウユニ湖
リビア アンデスにある塩湖、ウユニ湖

世界で作られる塩の3分の2以上は岩塩が原料なのですが、日本には岩塩も塩湖もありません。また日本は海に囲まれていますが、多雨多湿で平地面積も小さいため、塩田ができなかったのです。そのため、海水から塩が取られていました。

海水に含まれる塩は、3%程度。煮詰めて蒸発させただけでは、1リットルの海水から30g程度しか塩を取ることができない計算になります。そのため、塩の濃度を濃くした塩水、鹹水(かんすい)を作り、それを煮詰める方法が考えられました。飛鳥時代には既にあった土器製塩と呼ばれる方法で、全国の海岸付近ではこのために使われた土器が多く出土しています。

また、奈良時代から昭和30年頃まで、砂を利用して鹹水(かんすい)を作る「塩浜」と呼ばれる塩田で塩を作っていました。

マヤ文明での塩

マヤでは、先古典期後期(紀元前400年〜紀元前250年)以降、塩は産地が限定されていたため重要な交易品でした。ユカタン半島北部沿岸部は最大の生産地で、もっとも質の良い塩が生産されていました。これは暑く、雨の量が少ない乾燥した気候だからです。スペインに征服されるまでは、塩田法、土器製塩で塩が精製されていたそうです。

生きるために欠かせない塩は、戦士の鎧にも入れられた地域もあったそうです。

戦士土偶
 BIZEN中南米美術館蔵 どちらともエクアドル 北中部太平洋岸 ハマ・コアケ文化 
左:紀元前350~紀元700年(~1532年)戦闘用スティック、
右:ハマ・コアケ文化 地方発展期  紀元前350~紀元800年 戦士土偶

さいごに

今回は古代中南米原産の野菜、食べられていた動物、塩の精製について紹介しました。中南米原産の作物には私たちの食卓にもなじみの深い野菜がたくさんあり、世界中に広がったのはご周知の通りです。

しかし、今回あえて紹介しなかった古代中南米の食べ物に、カカオ(チョコレート)があります。

次回は、古代中南米には欠かせないカカオについて読み解く予定です。

BIZEN中南米美術館

  • 展覧会名:「冒険!マヤ文明」展 エピソード2
  • 期間:2023年3月28日~10月9日(月・休) 終了しました
  • URL::https://www.latinamerica.jp
BIZEN中南米美術館 館内の様子
BIZEN中南米美術館 展示の様子
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」

  • 東京国立博物館 平成館  2023年6月16日(金)~9月3日(日) 終了しました
  • 九州国立博物館(福岡会場)2023年10月3日(火)~12月10日(日) 終了しました
  • 国立国際美術館(大阪会場)2024年2月6日(火)~5月6日(月・休)
古代メキシコ展 館内写真
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」展示より
《香炉台》 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

(koedo事業部)

【参考】