【古代メキシコ×STEAM教育】「赤の女王」を覆っていた辰砂、一緒に埋葬されたヒスイの意味とは…?

2024年2月7日

メキシコには文化遺産が27個、自然遺産が6個、複合遺産が2個と合計で35個の世界遺産があります。

そのうちの1つ、パレンケ遺跡で1952年に地下墳墓が発掘されました。
パレンケは6世紀から8世紀に栄えたマヤ文明を代表する都市のひとつですが、10世紀ごろには廃墟と化していました。その後、1746年に発見されるまでずっとジャングルに眠り続けていた遺跡です。

パレンケ遺跡は、1987年に「古代都市パレンケと国立公園」としてユネスコ世界文化遺産として登録されています。

赤の女王とは

古代メキシコ展「赤の女王」
レイナ・ロハ(赤の女王)
特別展「古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」 ※展示風景は東京

パレンケ遺跡はメキシコ・ユカタン半島の付け根部分に位置しています。
都市としては4世紀まで遡ることのできるパレンケは、6世紀ごろにこの辺りの中核都市となり、約18平方キロメートル、新宿区より少し小さい敷地内に500以上の遺跡が発掘されています。

碑文の神殿と13号神殿
碑文の神殿(パカル王墓)と13号神殿(赤の女王墓)©Secretaría de Cultura-INAH-MEX

発掘が本格的に始まったのは発見されてから約200年後の1949年。

発見された建築物のひとつ「パレンケ13号神殿」で、1994年、現在「赤の女王(レイナ・ロハ)」と呼ばれている真っ赤な辰砂に覆われた女性の遺骨が発見されました。このマスクをはじめとする品々を身に着けていた墓の主は、パカル王妃であった可能性が指摘されています。

赤の女王のマスクは、クジャク石の小片で作られていて、瞳には黒曜石、白目にはヒスイ輝石岩がほどこされています。発見当時、マスクは原型をとどめておらず、116個の破片に分かれた状態でした。

また、このときヒスイ輝石岩製のビーズを二重にした冠、さまざまなヒスイ輝石岩が使用された胸飾りなども一緒に発見されています。

赤の女王のマスク・冠・首飾り
特別展「古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」展示
赤の女王のマスク・冠・首飾り
マヤ文明、7世紀後半 パレンケ、13号神殿出土
アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Foto: Michel Zabé
※展示風景は東京

古代メキシコでは、冠や首飾りは貴族の間で特別な儀式のときに着用されていたことから、赤の女王もこれらの装飾品を実際に使っていた可能性があり、死後の世界でも使えるように女王と一緒にお墓に納められたと考えられています。

辰砂とは…

辰砂は、鮮やかな赤色をしている硫化水銀(HgS)からなる鉱物で毒性がありますが、溶けにくい性質があるため、そのまま飲み込んでもほとんど危険性はありません。

現在、日本では禁止されていますが、中国では鎮静や不眠症に効く漢方薬として辰砂が使用されています。

世界最大の産地は中国湖南省。日本でも弥生時代から伊勢(三重県)、大和(奈良県)などで産出されていたと言われています。

辰砂の歴史は古く、紀元前2000年ごろにすでに顔料として使われています。

そのほかにも、鳥居の塗料や、呪術的なものにも使用されていて、太古の昔から不思議な魔力があると考えられていました。

古代メキシコにおけるヒスイ 

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」展示
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」展示 ※展示風景は東京
34:耳飾り、35:首飾り、36:ペンダント 
テオティワカン文明 300~350年 テオティワカン、月のピラミッド、埋葬墓5出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵

マヤ文明やアステカ文明は、貴重な石や宝石を高く評価していました。

特にヒスイは装飾品としては貴金属以上に珍重され、王の威信財のなかでも特に価値があるとされていました。

「緑」が世界の中心の色であるとともに、水や植物、命を表す聖なる色だと考えられていたからです。

また、王の鳥「ケツァル」の緑色の長い尾羽は、ヒスイ同様マヤの王の威信を示していたとされています。

ヒスイ装身具(BIZEN中南米美術館)
BIZEN中南米美術館蔵 翡翠装身具(奥の写真は「ケツァル」)
グアテマラ マヤ低地南部 古典期前期 紀元300~600年

1952年、パレンケ遺跡の「碑文の神殿」において、パカル王の遺骨が発見されています。

発見当時、パカル王の遺骨の周囲にはたくさんのヒスイが置かれていました。それだけではなく、ヒスイの首飾り、ヒスイの指輪、口にはヒスイの玉を含み、手にはヒスイの玉を握っていました。さらに、ヒスイをモザイク状に張り付けた仮面が顔の上に載せられていました。これは、ヒスイは死者に生命を与えて魂の復活を図る能力があると信じられていたからです。

マヤ遺跡から発掘されているヒスイは多種多様で緑色から緑青色系が多く、チチェン・イツァの「供儀の泉」の底から発見された細工物には鮮やか緑色のヒスイも含まれています。遺跡から発見されているヒスイは、現在のグアテマラやホンジュラスあたりから運ばれてきたとものと考えられています。

日本における翡翠の歴史

最近の研究によって、翡翠は7,000年以上も前から日本人の文化に根付いていたことが判明しています。

糸魚川では、今から5,500年ほど前の縄文時代中期には、翡翠を装飾品として加工していたことが分かっています。メソアメリカでのヒスイ文化の始まりは約3,500年前のため、日本は世界最古の翡翠文化発祥の地と言われています。

しかし、日本の翡翠文化は古墳時代中期から後期にかけて衰退し、6世紀ごろには姿を消してしまいました。

1938年(昭和13年)、翡翠の探索を行っていた伊藤栄蔵氏が、糸魚川市内を流れる小滝川で「緑色のキレイな石」を発見するまで、考古学の世界では、遺跡から発掘される翡翠は大陸から持ち運ばれてきたものと考えられていました。

なお、日本では、翡翠だけではなく琥珀も縄文時代から古墳時代の遺跡から発掘されています。しかし、古墳時代終わりから江戸時代終わりまで、かんざしなどの装飾品を除くと宝石らしい宝石がなぜか発見されていません。

巨大な石彫を彫っていた道具は…?

古代メキシコの遺跡からは、多くの石彫が発掘されています。
石彫とは、読んで字のごとく、石材に文字や絵などを彫ったもののことです。

日本でなじみ深いお地蔵様や不動明王などの石像、神社仏閣で見かける石灯篭も石彫の一種として含まれます。

古代メキシコの遺跡から出土しているのは、硬玉や大理石を利用したペンダントや小形の人型の像、巨大な岩を彫刻したものなどです。

たとえばテオティワカン文明三大ピラミッドのひとつである「太陽のピラミッド」正面の太陽の広場からは「死のディスク石彫」が発見されています。

この「死のディスク」は復元すると直径約1.5mもある大型の石彫です。テオティワカンの人々は、太陽は西に沈む(死ぬ)と地下世界をさまよい、夜明けとともに東からのぼる(再生)……と信じていました。「死のディスク」は地平線に沈んだ(死んだ)太陽を表していると解釈されています。

死のディスク
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」展示
死のディスク石彫
テオティワカン文明、300~550年
テオティワカン、太陽のピラミッド、太陽の広場出土
メキシコ国立人類学博物館蔵
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Archivo Digital de las Colecciones del Museo Nacional de Antropología. INAH-CANON

また、金星を象徴していると考えられている「羽毛の蛇のピラミッド」の四方は、無数の羽毛の蛇神石彫やジパクトリ神の頭飾り石彫で飾られていました。

左:シパクトリ神の頭飾り石彫、右:羽毛の蛇神石彫
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」 ※展示風景は東京
左:シパクトリ神の頭飾り石彫、右:羽毛の蛇神石彫
テオティワカン文明、200~250年 テオティワカン、羽毛の蛇ピラミッド出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵
BIZEN中南米美術館蔵蔵 心臓を食べるジャガーの石彫拓本
BIZEN中南米美術館蔵蔵 心臓を食べるジャガーの石彫拓本
メキシコ チチェン・イツァ遺跡出土 後古典期前期(紀元950年~1200年)

そのほかにも大小さまざまな石彫が出土していますが、チチェン・イツァにある「鷲とジャガーの台座」と呼ばれる小神殿の壁面には、闇の神ジャガーが心臓を食べている図が描かれています。

これは、太陽の復活のためには闇の神ジャガーに人の心臓を捧げる必要があるというメキシコ中央高原の文化がマヤに伝わったものです。

古代メキシコの石彫は、石灰岩、硬砂岩、安山岩、玄武岩など多種多様な石が使用されています。古代メキシコには「鉄」が存在していません、そのため、閃緑岩や玄武岩などの堅い石で作られたノミや石鎚を使って石彫したと考えられています。

石材の特徴

岩石は、大きく火成岩、堆積岩、変成岩に分けられます。

  • 火成岩:マグマからかたまってできる
  • 堆積岩:ふりつもったものが固まってできる
  • 変成岩:強い熱や圧力を受けてできる

古代メキシコの石彫には多種多様な岩石が利用されていますが、石灰岩・硬砂岩・安山岩・玄武岩は、次のような特徴があります。

分類特徴
石灰岩堆積岩生物起源の堆積岩で、石灰質の殻をもつ生物が降り積もってできた岩石
硬砂岩堆積岩海底雪崩または強い混濁流によってできると考えられている
安山岩火成岩地下で200~300℃の熱水が岩石にしみ込んで,熱水変質した岩石
玄武岩火成岩マントルからほとんど混じりけのない状態で噴出してできた岩石

古代メキシコの黄金文化

メキシコの黄金文化は、南米よりもだいぶ遅れていました。

紀元前1300年頃~前500年頃の南米ペルー北部の山岳地域で興ったチャビン文化の遺跡「チャビン・デ・ワンタル」の調査が開始されたのは1919年。その後、ペルーの山岳地帯から平地にかけて土器と金属器(金、銀、銅)が発掘されています。

一方、メキシコ中央部では14世紀から16世紀にかけてアステカ文明が築かれていました。

アステカ文明の中心都市テノチティトランの中心部には、壁で囲まれた25ヘクタールほどの聖域あり、「テンプロ・マヨール」と呼ばれる大神殿はその中心的な建物でした。

現在、この聖域の15.5%にあたる1.9ヘクタールが調査されています。

最近の調査では68か所の埋納施設から10万点を超える遺物が出土しており、このなかに古代メキシコでは珍しい金製品も見つかっています。

 人の心臓形ペンダント
 特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」
人の心臓形ペンダント
アステカ文明、1486~1502年
テンプロ・マヨール、埋納石室174出土
テンプロ・マヨール博物館蔵
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Museo del Templo Mayor

日本の黄金文化

日本の黄金文化……と聞いて、まず思い浮かべるのは豊臣秀吉という方が多いかもしれません。

しかし、日本の黄金文化は、豊臣秀吉よりもずっと前、平安時代に日本初の「金」が発見されたと考えられています。

平安時代初期に編纂された「続日本紀」には「陸奥国初めて黄金産」という記述が残されていて、造立中だった奈良の大仏に用いられたとされています。

また、奥州藤原氏も黄金文化を築いたことで有名です。

世界遺産「中尊寺金色堂」は、創建当時の姿を今に伝える建造物で、1124年初代清衡公によって建立されました。

中尊寺金色堂
金色堂旧覆堂

さいごに

先日、「特別展【古代メキシコ】」を観に行ってきました。

たくさんの展示品に圧倒されながら、少しでも「あれ?」と思ったことを書き留め、そのなかから、今回は「辰砂」「岩石」「黄金」について深掘りしてみました。

中国の秦の始皇帝が不老不死を追い求めて「辰砂」を基本原料とした丹薬と呼ばれる秘薬を作ったとされています。もしかしたら古代メキシコでも同じような意味で辰砂が使われたのかもしれないと思うとワクワクしませんか?

調べた内容から、さらに「不思議」が見つかり、最後は思ってもいなかったところに着地することがあります。

特別展「古代メキシコ」では8月7日を子どもの日とし、子どもの「なんで?」「どうして?」に対して担当研究員が分かりやすく説明してくれたり、ワークショップが開催されたりします。

子どもと一緒になって、たまには童心に返って「なんで?」「どうして?」を繰り返してみてはいかがでしょうか。

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」

  • 展示会場・期間
    • 東京国立博物館 平成館  2023年6月16日(金)~9月3日(日) 終了しました
    • 九州国立博物館(福岡会場)2023年10月3日(火)~12月10日(日) 終了しました
    • 国立国際美術館(大阪会場)2024年2月6日(火)~5月6日(月・休)
  • URL:https://mexico2023.exhibit.jp
BIZEN中南米美術館

  • 展覧会名:「冒険!マヤ文明」展 エピソード2
  • 期  間:2023年3月28日~10月9日(月・休) 終了しました
  • URL:https://www.latinamerica.jp

【参考】

(koedo事業部)