【中尊寺金色堂×STEAM】極楽浄土

中尊寺金色堂は、まばゆいばかりの黄金、見事な螺鈿、仏具で飾られ、仏像が配置されています。これは、どのような価値観から生まれたものなのでしょうか。

中尊寺金色堂8KCG
©️NHK/東京国立博物館/文化財活用センター/中尊寺

阿弥陀如来と極楽浄土

藤原清衡は、陸奥国の中心となる関山の山頂に、一基の塔を建てました。
現在中尊寺の境内にある諸堂の多くは、江戸時代中期以降に再建・移築されたものですが、藤原氏時代には40以上の仏教建築物があり、僧坊が300人以上だったと鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に記録されています。

主なものはこちらになります。

  • 多宝寺(たほうじ)   … 釈迦如来像・多宝如来像を安置
  • 釈迦堂         … 百余体の釈迦如来像を安置
  • 両界堂(りょうかいどう)… 密教像を安置
  • 二階大堂・大長寿院   … 十体の阿弥陀如来像を安置
  • 金色堂         … 阿弥陀三尊像、二天像、六地蔵像を安置
  • 一切経蔵(いっさいきょうぞう)等

中尊寺は、釈迦信仰、阿弥陀信仰、密教信仰を基本とした、比叡山直系の天台宗仏教の伽藍です。

中尊寺金色堂(12世紀)と時代が近く、独創的な阿弥陀堂建築として有名なのが、平等院鳳凰堂(京都府宇治市 11世紀)です。阿弥陀堂とは、阿弥陀如来を中心とした、極楽浄土の世界を具現化した仏堂のことを言います。

平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂

無量光院、金色堂と平等院鳳凰堂

平泉には、藤原三代によって作られた庭園があります。

藤原三代で作られた庭園

  • 初代清衡   大池
  • 二代基衡と妻 毛越寺、観自在王院
  • 三代秀衡   無量光院

それぞれの代ごとに、当時の人々の趣向に合った極楽浄土を、目に見える形で表したものが庭園だったと考えられます。

平等院鳳凰堂は、西方極楽浄土にある宮殿、宝楼殿舎(ほうろうでんしゃ)を再現した浄土空間と考えられています。東側から西にある鳳凰堂を参拝するのですが、秀衡の建てた無量光院も同様に、東から西への軸線が設けられていたそうです。

無量光院の西島からは、平等院と同様の翼廊を持つ阿弥陀堂の跡が発見されています。

無量光院跡
無量光院跡

平等院と比較して、さまざまな類似点が見つかりました。

無量光院と平等院の類似点

  • 本堂部分の寸法が同じ大きさ
  • 翼廊が一間ほど長い
  • 背後の廊下(尾廊・びろう)がない

これらのことから、無量光院は平等院を基に設計されたと考えられています。

平等院には、須弥壇と上部の方蓋(ほうがい)に螺鈿がほどこされています。

また、堂内の壁や扉に九つの階級の極楽浄土「九品往生図(くぼんおうじょうず・来迎図)」が描かれています。藤原頼道の罪として、貴族の年中行事だった宇治川の網代(あじろ)の様子が描かれています。

三代秀衡が建立した無量光院阿弥陀堂には、平等院鳳凰堂にならって九品往生図が描かれました。しかし、その中には秀衡の生前の罪も描かれているそうです。

それは、狩猟の様子。
狩猟は、武士として避けられない殺生を表しているのではないかと考えられています。

これまで、無量光院と平等院を見てきましたが、金色堂と平等院ではどうでしょうか。

平等院鳳凰堂は京にある多くの阿弥陀堂と同じように、朱色で彩色されたと考えられています。対して金色堂は、外観にも堂内にも彩色せず、扉や壁、柱、組物に金箔を押しました。

 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
《金色堂復元模型》中尊寺蔵(参考出品)

仏具、金銅華鬘(こんどうけまん)は、生花の代わりに堂内を荘厳する仏具とされています。

金銅迦陵頻伽華鬘
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
《金銅迦陵頻伽華鬘》
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

左右に向かい合っているのは、迦陵頻伽(かりょうびんが)と呼ばれる極楽浄土に住むもので、周囲には極楽に咲く宝相華唐草(ほうそうげからくさ)の文様が彫られています。

現在6枚残っているものの、作風や製作技法が3種類に分けられています。
このことから、2枚ひと組で何らかの法要・供養の際に作られたのではないかと考えられています。

金色堂の大きな特徴は、清衡の遺体が安置されている母堂ということです。

清衡の棺には、枕、太刀、刀子(とうす)が納められていました。
曳覆曼荼羅(ひきおいまんだら)という梵字が書かれた布もあり、極楽往生を願って遺体に掛けられる風習がありました。これらは、京の貴族の葬送と同じです。

特別展「中尊寺金色堂」
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
上:《太刀》 下:《刀装具類残欠》
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

京では堂塔が墓所になることがありましたが、遺体は地面に穴を掘って埋葬されていました。京では死は穢れとされ、遠ざけるため遺体を埋めたと考えられます。

しかし、金色堂では遺体を堂内にある須弥壇の中に安置しています。これは、遺体を阿弥陀如来と同じ空間に安置することで、極楽浄土に包まれるようにしたのではないかという説があります。

金色堂が建設された12世紀、極楽浄土へ行くことを望む浄土教信仰が一世を風靡したとされています。

なぜこの時代に、浄土教信仰が広がったのでしょうか。

浄土教信仰

日本で浄土教信仰が広がったのは、10世紀とされています。
10世紀頃から天皇の力が弱まり、藤原氏を中心とした摂関政治が行われました。自分の所有地である荘園を守るため武士が台頭し、争いが起こるようになりました。そのほかにも天変地異、飢饉、伝染病、犯罪などが横行し、庶民の生活が不安定だった時代と言われています。

これまでの仏教では、人が亡くなって極楽浄土に行くためには、さまざまなしきたりを守らなくてはなりませんでした。生きている時の行いで死後生まれ変わる世界が決められ、行いが悪ければ地獄界や畜生界などに行くとされていたのです。

しかし、浄土教では「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に行くことができるため、人々にとっては実行しやすい内容でした。

仏教は、天皇や公家、貴族などの特権階級のみのものでしたが、浄土教は庶民にも広がるきっかけとなったと考えられています。

地蔵像

仏教では、人が死後行く地獄界は六道(りくどう)と呼ばれ、その名の通り6種類あります。

六道とは…

  • 天界
  • 人界
  • 餓鬼界
  • 修羅界
  • 畜生界
  • 地獄界

金色堂に祀られている仏像のなかに、六地蔵像(六体の地蔵菩薩)があります。人が死後、もし六道に堕ちてしまっても、地蔵像が極楽浄土へと救い上げてくれると言われています。

特別展「中尊寺金色堂」
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
《地蔵菩薩立像》
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

1128年清衡が亡くなった後も、1129年白河法皇、1155年高陽院(かやのいん)など王家の関係者が死去した際には、遺族などが六地蔵像を供養したという記録が残っています。

また、金色堂建立から18年後の1142年、阿弥陀如来像と持国天・増長天のニ天像が、滋賀県の金胎寺(こんたいじ)に供養されたということが分かっています。金色堂が阿弥陀如来の極楽浄土を具現化しただけではなく、六地蔵に故人の極楽往生を託し、ニ天像が時代の往生信仰と結びついていたと考えられています。

持国天像
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
《国宝 持国天立像》
平安時代・12 世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
増長天
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」 
《国宝 増長天立像》
平安時代・12 世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

「吾妻鏡」には、藤原清衡が臨終するとき、合掌して仏号を唱え、眠るように目を閉じたと記録されています。これが、極楽往生する理想の姿とされていたのかもしれません。

世界の極楽浄土

人が亡くなった後の世界については、宗教によって考え方が違います。

キリスト教の聖書の中では「天国」「天」と表され、さまざまな記述があります。

  • 天の都は高価な宝石と混じりけのないガラスのような碧玉の輝きで満ちています。天には十二の門(黙示録21章12節)と十二の土台石があります。(黙示録21章14節)
  • 第三の天は、その場所がどこか示されてないのですが、神の住み家です。(ヨハネ14章2節)
  • 天国は、“もはやない”という場所です。もはや涙もなく、苦しみも悲しみももはやない場所なのです。(黙示録21章4節)

聖書では天国が実際にある場所とされており、「天」という単語は新約聖書だけでも276回も出てくるそうです。

キリスト教では、世界に壊滅的な危機が訪れるとされています(ヨハネの黙示録)。
また、この世を創造した神の力は絶対的であるものの、神が作った人間は一部の者を除いて不完全で、あやまちを犯すとされています。神々の怒りによって世界が破壊されたとしても、神への篤い信仰があれば、神が最後の審判で救ってくれると考えられています。

イメージ写真
イメージ

イスラム教での救済は経典「コーラン」に中で「アッラーの諸モスクは、アッラーと最後の日を信じ、礼拝を順守し、浄財を払い、アッラーの他におそれない者だけが差配するのである(メディナ啓示 第9章18節)」とされています。キリスト教にもありますが、これは終末論とされています。

イスラム教には、5つの基本行為があります。

イスラム教の基本行為

  1. 信仰の告白
  2. 礼拝
  3. 喜捨
  4. 断食
  5. 聖地メッカへの巡礼

これに加え、定められた行動規範を守ることとされていて、戒律を守ることで天国に生まれ変われると考えられています。

イスラム教での天国の記述は「畏れ、身を守る者たちに約束された楽園のたとえは、そこには腐ることのない水の川、味の変わることのない乳の川、飲む者には快い酒の川がある。また、彼らにはそこにあらゆる果実と彼らの主からのおゆるしがある(コーラン第47章15節)」とあります。

イスラム教で飲酒が禁じられていますが、天国では飲むことができるのです。

これは、現世ではお酒を飲むと酔ってしまい、神のことを忘れてしまいますが、天国のお酒は、いくら飲んでも悪酔いすることがないとされているからだそうです。

なお、イスラム教の地獄では、業火と永遠の懲罰があるとされています。

さいごに

人は生きているうちに、辛い出来事が多くあります。

現在の日本は大変平和ですが、世界には飢えや貧困、戦争などで生命を脅かされている人たちがおり、信仰があることで救われる人がいるのかもしれません。

文中でも触れましたが、金色堂が建立された平安時代は人々の生活が不安定でした。
また東北では藤原三代の時代はもとより、遡っても悲惨な戦いが繰り返し起こっていました。死後の世界である極楽浄土に、救いを求める気持ちが強かったのではないかと推測されます。

人は死んだらどこへ行くのか。
極楽浄土をはじめとする宗教的な考え方は、人類特有のものです。
世界各国に古くからあるさまざまな信仰は、人々の精神を救うだけでなく、歴史的建築物や美術品を生み出し、生活習慣や思想の根本に影響を与え続けているように感じます。

(koedo事業部)

建立900年 特別展「中尊寺金色堂」

  • 展覧会名:建立 900 年 特別展「中尊寺金色堂」
  • 会期:2024 年 1 月 23 日(火)~ 4 月 14 日(日)
  • 会場:東京国立博物館 本館特別 5 室

【参考】