【中尊寺金色堂×STEAM】菩薩の役割、仏教における神々とは?

仏像は、大きく「如来・菩薩・明王・天部」の4つに分けることができます。

中尊寺金色堂は、このうち「如来」にあたる阿弥陀如来、「菩薩」にあたる観音菩薩と勢至菩薩、「天部」にあたる持国天と増長天が安置されています。

特別展「中尊寺金色堂」
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」

阿弥陀如来の脇侍ー勢至菩薩と観音菩薩

一般的に勢至菩薩と観音菩薩像は、阿弥陀如来の脇侍として従っています。
脇侍は本尊に付き添い、サポートする役割を担っています。

勢至菩薩像
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
《勢至菩薩立像》中尊寺金色院
平安時代 12世紀
観音菩薩像
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
《観音菩薩立像》中尊寺金色院
平安時代 12世紀

本尊と両脇侍が祀られている姿を三尊像と呼びますが、組み合わせが決まっているわけではありません。

三尊像の主な組み合わせには、次のようなものがあります。

三尊像の主な組み合わせ

  • 釈迦如来像ー普賢菩薩(左脇侍)・文殊菩薩(右脇侍)
  • 阿弥陀如来像ー勢至菩薩(左脇侍)・観音菩薩(右脇侍)
  • 薬師如来像ー月光菩薩(左脇侍)・日光菩薩(右脇侍)

中尊寺金色堂の阿弥陀如来像も勢至菩薩像と観音菩薩像を脇侍として従えています。両像ともやや大き目の頭部で、ふっくらとした穏やかなお顔立ちをしています。

ところで、「如来」と聞いたときや、「菩薩」と聞いたときにどのような姿をイメージしますか?如来は男性のイメージ、菩薩は女性のイメージが強いですが、如来にも菩薩に性別はないとされています。

将来は如来になることを約束されている菩薩もいるからだそうです。

勢至菩薩

勢至菩薩は地獄・餓鬼・畜生・修羅の人々を仏の智慧によって正しい道に導こうとしている菩薩です。迷いや戦いの苦しみの世界から救う役割を担っています。

水瓶を持っている姿が一般的ですが、これはヒンドゥー教やゾロアスター教では水の神様でもあるからです。仏教はインドで生まれて発展し、インドの神さまやいろいろな概念を取り入れながら変化してきました。勢至菩薩の背景もその一端を示していると言えるかもしれません。

観音菩薩

観音菩薩は大乗仏教の代表的な菩薩です。

世間の人々の救いを求める声を聞くとただちに救済に向かい、救う相手に応じてその身を変化させると言われています。

一般的に髪の毛を結い上げ、頭に宝冠を戴き、上半身は左肩から右脇へ1枚の細長い布を身にまとい、下半身には裳を着けています。

観音菩薩は、日本でよく知られている菩薩ですが、実はそのルーツはよく分かっていません。ただ、ヒンズー教の最高神ヴィシュヌが多くの化身を持つと言われているため、観音菩薩のルーツではないかという説があります。

中尊寺金色堂の二天王ー持国天・増長天

持国天像
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
《国宝 持国天立像》
平安時代・12 世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
増長天
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」 
《国宝 増長天立像》
平安時代・12 世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

ある分野で優れた四人組を「〇〇四天王」と呼びますが、四天王はもともと仏帝釈天に仕えている神々で、東方を持国天、南方を増長天、西方を広目天、北方を多聞天が守っています。須弥山の中腹あたりで四方から世界を守っているとされているため、お寺のお堂の中では東西南北の四隅に立っています。

中尊寺金色堂には、このうち持国天と増長天が安置されています。

四天王像に限りませんが、仏像は時代が下ると、徐々に動きが出てきます。

国内に現在存在している四天王像で、もっとも古いのは法隆寺の多聞天立像ですが、これはほぼ直立。一方で中尊寺金色堂の二天像は、いまにも動きだしそうです。

近くで見ると、瞬きしている間に袖が動いているのではないかと思えるほど躍動感にあふれています。

四天王は仏教の世界では「天部」というグループに属していています。この天部に属する神々は仏教世界を守る役割が課せられています。釈迦が説いた教えには存在していませんが、古来からインドで崇められていた神々の姿をお借りしています。日本でも有名な帝釈天や弁財天は天部に属している神々です。

中尊寺金色堂の持国天は、怒ったような顔をして固く口を閉じ、左手を高く上げて右手は振り下ろしています、一方増長天は喝を入れるかのように口を開き、持国天とは逆に右手を高く上げて左手を降ろしている左右対称の姿をしています。

口の開閉や像の色などから、本来は像の名前が逆で立ち位置も現在とは左右逆だったのではないかと推測されます。

ヒンズー教と仏教、日本の神々

仏像について調べていると、頻繁にヒンズー教やゾロアスター教の神々に遭遇します。

そして、ヒンズー教の神々が、日本の神々として扱われていることに気が付きます。

たとえば、観音菩薩のルーツがヒンズー教の最高神ヴィシュヌではないかと言われいることは先述しましたが、そのほかにもヒンズー教のシヴァ神と関係しているのではないかという説や、ゾロアスター教のアナーヒターと関係しているのではないかという説もあります。

ヒンズー教の三大神は創造を司るブラフマー神、破壊を司るシヴァ神、維持を司るヴィシュヌ神です。

プラフマー神は仏教では梵天と名乗っていて、そのお后様であるサラスヴァティは弁財天です。ヴィシュヌ神のお后様であるラクシュミーは吉祥天と呼ばれていて、ヴィシュヌ神の9番目の姿がお釈迦様だと言われています。

また、シヴァ神の化身であるマハーカーラは日本では大黒天と呼ばれています。

なお、七福神と呼ばれる神々のうち、日本の神様は恵比寿だけです。弁財天、大黒天、毘沙門天はヒンズー教の神様、布袋、福禄寿、寿老人は中国の神様です。

鴻池家伝来永楽関係資料 色絵金彩七福神置物
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム
《鴻池家伝来永楽関係資料 色絵金彩七福神置物》 京都国立博物館蔵

七福神信仰は、徳川家康の政治参謀だった天海大僧正が広めたという逸話が残っています。

外国の神様を日本の神様と一緒に1つのグループに入れてしまう…という行為が、なんだかとても日本らしいと思いませんか?

おまけ

中尊寺金色堂に訪れたことのある歴史上の人物として、西行や松尾芭蕉が挙げられます。

西行

西行は、藤原秀郷の子孫で北面の武士として鳥羽上皇に仕えた武士でした。

同じ秀郷の子孫と言われている奥州藤原家に親しみを感じていたのか、出家後、二度も平泉を訪れています。

1度目は西行20代後半のころと言われていて、奥州藤原氏二代目・基衡の全盛時代。
その後、1186年、西行が69歳のときに、東大寺再建の砂金勧請に三代目・秀衡を訪れています。

西行が平泉をあとにした翌年の1187年、頼朝の追っ手から逃れて義経が平泉に入ったことが発覚。その後、鎌倉と平泉の対立が決定的となり、1189年に奥州藤原氏が滅亡ています。

平泉の全盛時代に基衡・秀衡を訪れた西行は、「山家集」に次の3句を残しています。

山家集

  • とりわけて 心もしみて 冴えぞわたる 衣河みにきたるけふしも
  • 衣川 みぎはによりて たつ波は きしの松が根があらふなりけり
  • ききもせずたはしね山の桜花 吉野の外にかかるべしとは

松尾芭蕉

松尾芭蕉が門人・曾良とともに「奥の細道」に旅立ったのは1689年。奥州藤原家が滅びてちょうど500年目のことです。旧暦3月27日(新暦では5月16日)に東京深川を出発し、日光・松島・平泉まで行き、山形を経由して新潟から金沢へと向かっています。総移動距離は2,400km、江戸・深川に戻ったのは2年後の1691年の春ごろです

「奥の細道」によると、芭蕉が平泉に到着したのは旧暦5月13日(新暦6月29日)。
平泉は仙台藩主4代目の綱村が整備を始めていましたが、芭蕉が目にできたのは金色堂と経蔵のみだったと言います。

芭蕉は「奥の細道」の中で平泉について次の2句を残しています。

奥の細道

  • 夏草が 兵どもの 夢の跡
  • 五月雨の 降りのこしてや 光堂

平泉はその後、1600年ごろにはほぼ現在の状態になっていたと言われています。

さいごに

前回の阿弥陀如来に続き、中尊寺に安置されている菩薩や二天像について読み解いてみました。

仏像の多くは地震や台風、津波などの自然災害、戦による火災などで当時のまま残っているものは少なく、どこかの時点で修繕されています。

戦が多かった時代、火災が起きると寺に住む僧侶などが仏像を外に運び出して守ったと言われています。そして長い年月を経て、現代に生きるわたし達へ何かを訴えかけています。

「仏教」や「仏像」は少し遠い世界のもので、旅先でチラッと仏像を見て終わり…という方も多いと思います。

これを機会に、自分の好きな分野と絡めて仏像を見てはいかがでしょうか。
これまでとは少し違った見方ができるかもしれません。

(koedo事業部)

建立 900 年 特別展「中尊寺金色堂」

  • 会期:2024 年 1 月 23 日(火)~ 4 月 14 日(日)
  • 会場:東京国立博物館 本館特別 5 室

【参考】

  • 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
  • 駒沢大学仏教学部教授が語る仏像鑑賞入門 村松哲文著(集英社親書)
  • 一刀三礼、仏のかたち 仏師から見た日本仏像史 江里康慧(ミネルヴァ書房)
  • 奥州藤原氏の謎 中江克己 (歴史春秋社)
  • 勢至菩薩/Wikipedia
  • 観世音菩薩/コトバンク
  • 仏教発祥の地インド/法相宗大本山薬師寺
  • 平泉アラカルト/岩手県立図書館