【貨幣の歴史×STEAM】世界で最初の紙幣は中国で誕生、世界最古の印刷物は日本に現存!

日本で最初に金貨が造られたのは8世紀半ばごろとされています。しかし、一般に流通し始めたのは16世紀、江戸時代に入ってからです。

硬貨は、同じ形状で量産がしやすい、ヒモに通して持ち運びやすい、貴金属としての価値があるなどといった理由で、江戸時代に広く流通していました。しかし、江戸時代に入って人口が急増したため、硬貨を造るための金属が不足。そこで、金属よりも安い原材料で造れるお札が注目されるようになりました。

日本最初の紙幣とは

現在、私たちが「お札」と言っているものは、正式には「日本銀行券」と言い、国立印刷局で製造されています。

お手元にある方は、一度、お札を観察してみてください。お札の表面下側に小さな文字が書いてあります。これは製造銘版と言い、国立印刷局で製造されている証(あかし)です。

なお現在、お札は日本銀行の発注に基づき、年間300億枚ほど製造されています。

お札の厚さは約0.1mmなので、積み重ねると約300キロメートル。富士山の高さの約80倍ものお札が製造されていることになります。

日本最初のお札のルーツは、1600年ごろに伊勢山田地方(現在の三重県伊勢市)の商人の間で銀貨の釣銭の代わりに使われていた「山田羽書(やまだはがき)」という証書だと言われています。

当時の日本では銀貨は重さを量って使う「秤量貨幣」でした。
そのため、端数を調整するために銀貨を必要な目方だけ切って使う「切遣い」という方法が取られていました。この端数分の銀貨の預かり証として発行されたのが山田羽書です。

その後、山田羽書は松坂(現在の三重県松阪市)など、周辺の地域でも使われはじめ「商人札」として発展。ただし、これは商売のために私的に使う「私札」と呼ばれるもので、社会全体で通用するお金とは言えませんでした。

江戸時代に入ると、各藩で「藩札」と呼ばれる藩内だけで使えるお金が発行されました。1661年、越前福井藩が初めて藩札を発行したのを皮切りに。明治維新が起きるまでの間に合計244の藩で藩札が発行されたという記録が残っており、約2000種類ほどの藩札が発行されたと考えられています。

しかし、財政難に苦しんでいた多くの藩が無暗に藩札を発行することも多かったこともあり、ニセ札が出回るようになりました。そのため、かくし文字やすかしを入れたり、紙を着色したりするなど、このころからお札にはさまざまな偽造防止策が施されていました。

全国共通のお札が初めて発行されたのは意外と遅く、明治に入ってからです。
新政府は明治元年(1868年)、「太政官札(だいじょうかんさつ)」を発行。しかし、太政官札は江戸時代の藩札とほぼ同様の方法で造られたためニセ札が多発。このため、明治政府は、技術の進んだドイツに紙幣の製造を委託し、明治5年、ドイツ製のお札(ゲルマン紙幣)が発行されました。現代とは違い輸送に時間がかかるため、製造を他国に委託するということは輸送にコストがかかり、急な増刷には対応できないことからお札の国産化を目指し、明治10年に国産第1号の近代的なお札が造られています。

国立銀行紙幣(新券)1円紙幣
国立銀行紙幣(新券)1円紙幣 
出典:お札と切手の博物館

世界最古の紙幣を造った国は?

世界最古の紙幣は、中国の北宋時代(10世紀末ごろ)に、現在の四川地方の商人が流通させた「交子(ジャオス)」だと言われています。当時の中国の硬貨は鉄銭だったため、持ち歩くには重く不便だったこともあり、お釣りの代わりに預かり証として流通されたと言われています。

この当時の中国のお札には「ニセ札づくり禁止」という警告文がお札自体に印刷されています。ニセ札を作った場合は死刑、反対に犯人を見つけた場合には報奨金のほか、犯人の財産も与えると定められていました。

なお、これより前に古代エジプトにおいてパピルス製の倉庫への穀物の預かり証が通貨の代わりに使用されていたという記録や、古代カルタゴにおいて革製の通貨が存在したという記録がありますが、これらはローマの進攻とともに断絶。現在に至るまで考古学的な証拠となる実物が発見されていません。

紙幣の原料である「紙」とは…

お札の原材料は「紙」ですが、そもそも「紙」とはなんでしょうか…。

紙とは、植物などの繊維を水中でバラバラにし、薄く平らに伸ばして乾かしたものです。この基本原理は、現在もほぼ同じです。

なお、古代エジプトで使用されていたパピルスは茎をそのまま並べて作ったもの、10世紀ごろまでヨーロッパで主流だった羊皮紙は羊の皮をなめしたものなので、厳密には「紙」とは言えません。

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紙漉きの様子(イメージ)

紙は紀元前2世紀ごろに中国で発明されたと考えられています。1957年、中国西安市郊外の遺跡から紀元前141年ごろの紙が発見されましたが、まだ文字が書けるほどのものではなく、銅鏡などの貴重品を包むために使われていたと考えられています。その後、105年に中国の後漢時代の役人である蔡倫(さいりん)が製紙法を改良し、実用的な紙が大量に作られるようになったと言われています。

紙そのものは製造法が伝わる前から日本に入ってきていたと考えられていますが、高句麗経由で紙の製造法が伝わってきたのは610年のことです。一方、西方へはシルクロードを通り8世紀にバクダッド、10世紀にアフリカのカイロへと紙の製造法が伝わっていきます。ヨーロッパに伝わったのは12世紀中頃で、まずはスペイン、フランス、イタリアへと伝わり、15世紀になってからドイツ、イギリスへと伝わっていきました。

活版印刷の発明よりも400年前に、中国で発明された印刷技術とは

「印刷」というと、グーテンベルクが1440年に発明した活版印刷を思い浮かべますが、それよりも数百年前の7世紀に中国で木版印刷が発明されています。

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木版画(イメージ)

木版印刷とは小学生の図工の授業に行った「木版画」と原理は同じで、木に文字や絵などを彫りこんで造った「版」にインクを塗って紙の裏からこすり、インクを紙に写しとる印刷方法です。浮世絵は、この木版印刷で印刷されています。

日本には7世紀ごろには木版印刷の技術が入ってきていますが、活版印刷が発明されたあとも19世紀まで木版印刷が主流でした。

グーテンベルクが発明した活版印刷は、ハンコのように文字をひとつずつ彫った「活字」を並べて印刷します。アルファベットと違い、日本は漢字、平仮名、カタカナと文字数が膨大だったことが、活版印刷が普及しなかった理由として挙げられます。

なお、「世界最古の印刷物は、日本の奈良時代につくられた「百万塔陀羅尼経(ひゃくまんとうだらにきょう)」です。さまざまな紙で作られた経文は6年の歳月をかけて100万個もつくられ、現在も1万個くらい残っています。

さいごに

世界で初めて紙幣をつくったのが中国なのは原料である「紙」を発明したのも、印刷技術を発明したのも中国であることを考えると当然のなりゆきとも言えます。

その一方で、現存している世界最古の印刷物は、紙や印刷技術を発明した中国ではなく、日本で770年に印刷された「百万塔陀羅尼」だということが興味深く感じます。

現在、日本では日本銀行が発注して国立印刷局でお札が作られています。
お札は日本銀行から何らかの形で供給されないかぎり、たとえ政府であっても勝手に発行してはいけない仕組みになっています。

現在と同じように、日本銀行が「日本銀行券」として正式なお札を発行するようになったのは、初めて国内で紙幣が製造されてから8年後の明治18年になってからです。

このとき発行されたのは「拾円券」で、商売の神様である大黒天の絵が描かれています。このお札は、紙質を高めるためにこんにゃくの粉を使っていたため、虫やネズミの害を受けやすかったそうです。

(koedo事業部)

【参考】