【STEAM教育と特別展「宝石」⑤】宝石っていつからあるの?

2022年6月2日

2022年6月19日まで東京・上野の国立科学博物館で『特別展「宝石 地球がうみだすキセキ」』が開催されています。

この展覧会で国立西洋美術館所蔵の「橋本コレクション」から約200点の指輪が展示され、古代エジプトから4000年にわたる「宝石の歴史」を垣間見ることができます。

STEAM教育と特別展「宝石」第5弾は、宝石の歴史の視点から、宝石はいつからあるのか、どのように変わってきたのかに触れていきたいと思います。

橋本コレクション 国立西洋美術館所蔵
(特別展「宝石」展示風景)橋本コレクション 国立西洋美術館所蔵

宝石の起源は古く、古代エジプトのファラオの墓からも副葬品としてトルコ石やラピスラズリが発掘されています。

ヨーロッパでは、宝石はどのように変化していったのでしょうか。

ヨーロッパでの宝石の変遷

ローマ帝国時代       ・宝石の細工の精度が向上、それに伴い完成度が高まる。
・ローマ文化の広がりとともにヨーロッパ全土に宝飾文化が広がる。
・キリスト教の権力維持のため、宝飾品が出回るようになる。
ルネサンス時代・王家や貴族階級などの富裕層で権力を誇示するために宝石が所有されるようになる。
・さまざまなモチーフのジュエリーが誕生するなど、技術やデザインが進化していく。
18世紀・産業革命の影響で、一般の女性でもアクセサリーを身に付けるようになる。

エジプトのファラオの墓から副葬品としてアクセサリーが発掘されていますが、ヨーロッパで宝石の細工の精度が向上し、それに伴って完成度も高まっていったのはローマ帝国時代に入ってからです。

この時代、宝飾文化はすでに根付いていて、ローマ文化の広がりとともにヨーロッパ全土に広まったと考えられています。

宝飾文化がヨーロッパ全土に広がっていった背景にはキリスト教の存在も無視できません。

ローマ帝国の国教がキリスト教になると、教会の権力を示すために宝飾品が世に出回るようになったからです。

ルネサンス期に入ると、宝石は王家や貴族階級などの富裕層で権力を誇示するためのものへとなったため、ファッション性は影を潜め、資産的な価値が向上していきました。

そして、ルネサンス期を経て装飾品が世に多く出回るようになると、技術やデザインが進化していきます。

石留の技術や研磨技術などが飛躍的に進歩し、さまざまなモチーフのジュエリーが誕生したのも、この時期からと考えられています。

18世紀になると、産業革命の影響で経済が活発になったことで、それまでより多くのジュエリーが作られるようになります。

そのため、貴族階級だけではなく一般の女性でもアクセサリーを身に付けられるようになりました。

宝石の加工技術(Technology)の歴史―ダイヤモンドの場合―

高価な宝石としてのイメージが強いダイヤモンドも、原石のままでは価値がそれほど高くありません。

ダイヤモンドは14世紀ごろまでインドが主要な産出国でした。
このころのインドでは研磨も行っており、ダイヤモンドの粉末をオリーブオイルに混ぜ、木の円盤をゆっくりと回転させてほんの少しずつダイヤモンドを磨いていたといいます。

この表面を少しだけ磨く方法は、当然のことながら非常に時間がかかるうえに、ゆがんだ形にしか整えられないため、美しい原石ではなく形の崩れた原石に対して施されていたようです。

14世紀、ダイヤモンドは「へき開」を利用してカットする方法が始まりました。

ダイヤモンドは硬い鉱物として有名ですが、切断可能な方向があるというのです。
その方向を「へき開」と言います。

「ダイヤモンドが割れる」という現象がたびたび起きたことで、その原因と割れる構造に興味を持ち、探求した歴史があるのでしょう。

この技術が確立するまでには「なぜ、どうして?」といった知的好奇心を原動力とした探求があったのではないでしょうか。

14世紀以前の宝石加工の歴史と、ダイヤモンドが割れる……という事故が、この「へき開」を利用した技術の確立につながったのだろうと思うと感慨深いものがあります。

「へき開」を利用しカット技術が確立されたことで、15世紀には光の反射をうまく取り入れ、裏側が平面、表側はバラのツボミを思わせるドーム型の形にカットする方法が確立され、24面や32面などの高度な加工ができるようになったとされています。

現在のダイヤモンドの主流なカットは、17世紀半ばから18世紀の初めにかけて発明された「ブリリアントカット」がベースとなっています。

ダイヤモンドのカット技術の歴史

ダイヤモンドは大まかに分けると次の4つの部位からできています。

ガードルダイヤモンドの横の部分にあたる境界線の部分
クラウンガードルよりも上の部分
パビリオンガードルよりも下の部分
ファセットカット面
ダイヤモンド 説明
ダイヤモンド 部位

ダイヤモンドよりも、ルビーやサファイアの方が宝石としての価値が高いと判断されていた歴史があったようです。

しかし、ダイヤモンドをダイヤモンドで磨く技術が発見されたことで、ダイヤモンドの価値が変わりました。

研磨技術や加工技術の発展と、ダイヤモンドの価値・評価の変化についてまとめると、次の表のようになります。

ポイントカット        14世紀以降    へき開に沿って原石の形を整えてカットする方法。 太陽光にあたると「光の分散」と「光の反射」により7色に輝いて見える。 このころから、ジュエリーとしての地位を確立し始める。
テーブルカット15世紀中頃ポイントカットの上の部分を切断するカット方法。
ローズカット16世紀裏側が平面、表側はバラのツボミを思わせるドーム型の形にカットする方法。
マゼランカット17世紀後半ダイヤモンドの屈折率を生かしたカット法。 太陽光がパビリオンで反射し、クラウンから出るように設計。 宝石の王者としての地位を確立。
プリリアントカット20世紀58面体のカット。ダイヤモンドの屈折率や反射を取り入れ設計されたカット法。

まとめ

今回は、「宝石っていつからあるの?」ということについて調べてみました。

私たちが、今、当たり前のように目にしている宝石には、ここに至るまでの長い歴史があることが分かりました。

そして、おそらく今現在も「宝石デザイナー」「宝石職人」と呼ばれる方々の、多大な努力により技術が少しずつ進化しているのではないかと思います。

この記事をもって、今回の【STEAM教育と特別展「宝石」】の企画は終了です。

5回にわたって連載してきましたが、調べれば調べるほど、次々と疑問が生まれてきます。

科学者など探求者は知的好奇心を原動力として課題を解決しながら、疑問を拡げていく。人類の歴史として、人類全体の知識量を増やしながら知識の周辺へ疑問を拡げていく過程が、この5回の連載の中でも起こっていることに気づかされます。

たとえば、「宝石の歴史」という観点から見ると、日本では縄文時代の遺跡や古墳などから翡翠や琥珀を加工したペンダントやブレスレットが発掘されています。

ところが、古墳時代の終わりから江戸時代末期まで、かんざしなどの装飾品を除き、宝石らしい宝石が発見されていません。

これはなぜなのでしょうか…。

日々感じている大小さまざまな疑問を、この機会に、ぜひ調べてみてください。
思わぬところで、ワクワクしたりドキドキしたりできるのではないかと思います。

特別展「宝石」は2022年6月19日までは東京・上野の国立科学博物館で、その後7月9日からは名古屋市科学館での開催を予定しています。

ご都合がつくようでしたら、会場に足を運んでみてはいかがでしょうか。

特別展「宝石 地球がうみだすキセキ」

展覧会名:特別展「宝石 地球がうみだすキセキ」

会場:国立科学博物館 地球館地下1階 特別展示室

会期:2022年2月19日(土)~6月19日(日) ※日時指定予約制

URL:https://hoseki-ten.jp

【参考】

koedo事業部