「学習」と「教育」は似て非なるもの

2021年1月27日

 大学の教職の授業で、教授が私たち学生にこう尋ねた。

「みなさん、学校と塾の違いは何だと思いますか?」

 まだ教壇に立ったことのない私は、すぐには答えが思いつかず、教授の次の言葉を待った。

「学校行事です。塾は勉強を教えることはできても、学校行事はできません。これが学校と塾の違いです。」

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 大学卒業後、私は実際の教育現場に立つわけだが、教師の仕事は授業以外のほうが多いのでは?というくらい多岐にわたっていた。お役所的な帳簿や書類の作成に始まり、各種会議、部活動や生徒会行事、学校行事の企画運営実施などなど。

 教員になる前は、先生というのは授業だけをしているものだと思っていたけれど、その授業でさえも準備には実際に話す時間の2~3倍くらいはかかって、教員時代はいつも時間に追われていた。

 中でも大変だったのは部活動の顧問。私自身は運動が苦手で学生時代は部活動に入っていなかったけれど、若手の教師が少ないこともあって運動部の顧問を任されるのが常だった。年によってはそれに加えて生徒会顧問も任され、本当に目が回るほどの忙しさであった。

 しかし、私の心を支えていたのは大学時代の教授の言葉だった。

 授業だけなら塾でもできるし、学校である必要はない。私は全人教育をするために学校の先生になったんだ。学校の価値、先生の価値というのはここにあるんだ。と、自分に言い聞かせて踏みこたえていた。

 実際に部活動で顧問をしていた生徒とは、クラス担任をしていた生徒よりも(!)深い絆で結ばれる経験もした。部活動は、一方的に教員から分けられ、毎年変わるクラスとは違い、生徒自らの意志で加入し、基本的には3年間継続するものだから、人間関係の濃度が違うのだ。

 しかしあるとき、塾が野外教室を始めるというチラシを見て、私は雷に打たれたような気持ちになった。塾が勉強以外の「体験」を提供する日が来るなんて思ってもいなかった。これでは塾と学校の垣根はなくなるじゃないか。

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 いま、このコラムを書くにあたって、20年ぶりにそのことを思い出し、その塾のホームページを見ると、その塾はなんと「自立した社会人の育成」を謳っていた。私は改めて驚いた。まさか塾が全人教育に踏み出すなんて。これでは塾と学校の垣根はないに等しいじゃないか。

 そして、ふと思った。いま流行のオンラインスクールにおいて、この問題はどうなるのだろうかと。

 従来の通信制高校では、スクーリングと言って“直接”教科指導や体験指導を受ける機会が設けられており、学校によっては体育祭や文化祭といった学校行事もカリキュラムに含まれている。

 しかし、生徒の学び方が多様化し、オンライスクールも一つの選択肢となり得る中で、果たして学校行事の重要性はどれほど認識されているのだろうか。

 前述の部活動や生徒会活動だけではない。朝礼や終礼、掃除の時間、昼休みや委員会活動など、学校には授業以外の活動が多くあり、それらは少なからず生徒の人格形成に影響を及ぼすと思っている。

 知識を得るだけならオンライン授業はこの上なく効率的でいいと思うが、人の教育は効率がすべてではない。むしろ、成長過程にある子どもの世界では、非効率こそが大切なときもある。それを効率だけ重視するならば、いずれそのひずみが出てくるのではないか。

 勉強が苦手でも、まわりを盛り立てまとめ上げることのできる子はいる。勉強が苦手でも、任された役割を責任を持ってこなす子がいる。そういった子たちは、学力至上主義の中では決して日の目を見ないが、社会に出れば大いなる力を発揮する。

 オンラインスクールの長所は「学習」の機会均等に尽きるが、それは決して「教育」の機会均等と同じ意味を持たないと危惧している。

この記事を書いたひと

木下 真紀子
(きのした まきこ)

コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。