【授業におけるICT入門】「ここからどうなる?」の想像力を

小学校や中学校で情報リテラシーの講座を依頼される際、事前に学校と打ち合わせをします。学校側が抱える悩みは今も変わらず「ネットのトラブル」ですが、最近はその内容が少し変わってきたかな?と思います。

つまり、以前は「理解したうえで嫌がらせをする」ということが多かったのに対し、最近は「意図せず、結果的にイヤな思いをさせてしまう」ということが増えてきました。

「いじめ」には大きく分けると2種類があると思います。

ひとつは最初に書いた、いじめる側がいじめられる側に対して意図的に意地悪や無視などをするもので、もうひとつがいじめる側といじめられる側の意識の相違によるものです。

後者は加害者に悪気があまりないため、なぜそんなことをしたのかと聞くと、多くの場合「ふざけていた」という答えが返ってきます。

本人の認識では「いじめ」でなく「ふざけて」行う行為で悪気がないけれど、いじめられる側は深くイヤな思いをします。しかし、悪気がない、意識がないため、いじめがなくならない原因のひとつになっていると思います。

この、「悪気がない」行為はネットでのトラブルでも多く発覚します。

たとえ加害者側が自分のしたことをいじめだと認識していなくても、やはり悪ふざけで済むものではありません。

情報モラル、情報リテラシーの講座では物理的な暴力を伴わなくても、たとえば名誉毀損や侮辱は犯罪であること、SNS上でのトークでも内容次第では脅迫や強要、恐喝、自殺教唆などの罪になるし、そういった罪の中には未遂でも罰せられるものがあることなどを伝える必要があります。

講師をしながら最近思うことは、想像力のある子どもが少ないということです。国語の授業で主人公の気持ちになって……という想像力は今も昔もあまり変わらないのかもしれません。

しかし、自分の行動に対してはよくも悪くも必ず何らかの影響があること、特にネットは一度投稿してしまったら完全に削除することができない……という点を理解して自分の行動を制御することは、ネットがなかった昔にはない、新しい想像力が必要になってくるのです。

そこで私は少し、講座の内容を変えました。
たとえばSNSのトークルームなどで発言をするときに言葉の使い方が適切でないと、相手に誤解されてしまうという話をするとします。有名なところで。

SNSで誤解されてしまうパターン

(AさんとBさんとCさんが話していたとして)
A 明日みんなでショッピングモールに行こう
B いいね~
C 私も行きたい!
A Cさん、何で来るの?

という会話があったとします。最後の「何で来るの?」という言葉は、移動手段は何にするか……ということなのですが、単純に「何で」と聞いてしまっては、「あなたはなぜ来るのか(誘っていない)」というように受け取られ、Cさんが仲間外れにされてしまったと勘違いするという流れです。

ここで以前ならば「こう書かれたらCさんはどう思うか」や「Cさんに誤解をされないようにするにはなんと書いたら良かったか」という進め方をしていました。

子ども達は、「絵文字を入れたらいい」や、「自転車で来るの?というように言葉を足したらよい」と答えてくれます。

しかし今年は、Cさんが誤解してしまったという話をせずに、「このあとどうなったと思う?」と聞くようにしました。

たった4行の会話。その先どうなっていくのかという話の続きを子ども達に考えてもらうのです。

すると子ども達は自分が受け取ったままに話を考えますので、「移動手段」と捉える子は、待ち合わせ場所や時間を決める流れにもっていきます。

「なぜ来るのか」と捉えた子は、Cさんが怒ってしまうとか、Cさんが泣いてしまうという展開にする子もいます。

まったく想像もつかない話をつくる子もいるのですが、そうしたたくさんの「続きの話」を皆で見せ合い、共有することで、「人は同じ言葉でも受け取り方が違う」ということを実際に感じてもらうことにしています。

そのうえで、「ではどういう表現にしたらよいか」と聞くと、「言葉だけのコミュニケーションは相手に誤解されることもあるので、気を付けるようにする」という説明をしなくても、実感として伝わるようになったと思います。

ほかにも、クラスのお友達と撮影した誕生会の写真をクラスのトークグループに載せてしまったらどうなるかということや、悪いことを考えている人が、電話でクラスの子の住所を教えてほしいと聞いてきたらどうなるか…など、テーマによって題を変えることができます。

写真のほうは、単純に個人情報の問題で画像をアップしてはいけないということだけでなく、誕生会に呼ばれなかった子どもが傷つくなど、単なるセキュリティの認識の話ではない流れをつくることもできるのです。

情報リテラシーは、単に機材を扱うことができたり、検索が上手にできたり、ルールを守ったりすることだけで身についたと言えるものではありません。

受け取った情報をどう処理するか、どのように利用するかということが大切になってきます。そのためには、使い方だけではなく、その後どうなるか、という想像力を身につけてもらうよう、子どもたち自身で答えを見つけていくような形に持って行けたらよいと考えます。

この記事を書いたひと

ライター:吉田理子様

吉田 理子
(よしだ りこ)

1971年生まれ。Windows95発売当時に社会人となり、以降パソコン教室講師やITサポート等の仕事に従事。2005年に企業・学校向けのIT、情報教育を目的とした企業組合i-casket設立。2018年には一般社団法人s-netサポーターズを設立し、主に小中学校にて子供・保護者・教員向けの情報リテラシー、プログラミング的思考に関する講座を行う。そのほか地域ボランティアや主権者教育の活動をボランティアで。趣味は料理と読書。