大学に行く価値とは?
大学生の子どもを持つ友人から、子どもが大学を辞めたいと言っているという相談が来た。
私は元高校教諭でありながら、あまり大学に行くことにこだわってはいない。もちろん学歴はあって邪魔にならないので、もし本人が望むなら大学に行けばいいと思うが、他にやりたいことがあるのなら必ずしも大学に行く必要はないと思っている。
2020年の大学進学率は55.4%。一見すると二人に一人以上は大学に行っているかのようだが、その分母は高校生(全日制・定時制、中等教育学校後期課程)に限られるので、高校に行っていない子は含まれていない。もし、大学進学する年齢の子全員を分母としたら、この進学率はもっと下がるだろう。
実は私の小学生の息子は大学には行かないと言っている。将棋の棋士になりたいので、一日も早く将棋の勉強をしたいのだそうだ。棋士は、競技人口も少なく、プロになるにはかなり狭き門だ。建前では、「親は全面的に子どもの可能性を信じてやらないといけない」と思っているので息子には言わない(言えない)が、心の中では「実際に棋士として成功するのは難しい」と思っている。
それでも、一度きりの人生だし、息子がそうしたいと言うなら全力で応援してやりたい。そして、もし挫折したとしても、息子は将棋以外にもたくさんのことを学ぶと信じている。
それはその後の人生に決して無駄にはならないはずだ。だから、大学に行かないという選択肢も認めている。
しかし、友人のお子さんはちょいと事情が違う。大学を辞めて投資に専念したいというのだ。私は投資が悪いとは思っていない。むしろ、これからの日本人には必要不可欠なものだとさえ思っている。
ただ、私は「大人になる」ということは人や社会の役に立ち、人や社会を支えることだと思っている。そのために必要な学びが、一人家にこもって投資をやっていてできるのだろうかと疑問に思うのだ。もし、投資に失敗したり、投資だけの生活がむなしくなったときに、彼はどうするのだろう。その時点で社会に出ようとしても、同年代と比べて実体験が少ないことが心配でならない。
高校教諭時代、将来の目標がない生徒にはひとまず大学に行くことを勧めていた。保護者の経済状況を思うと迷惑な提案だったかもしれないが、日本の大学は最高学府でありながら、一方でモラトリアム(大人になるための猶予期間)とも言われている。学生の本分は勉強であることに異論はないが、社会に出る前の唯一の自由が利く期間であり、留学したり、趣味に熱中したりする学生も多くいる。それらの経験は人生の糧になるし、その中で将来の目標を見出す学生も多い。
私の息子のようにやりたいことが明確な子は少ない。高校生になってもなお、自分のやりたいことが定まらない子の方がほとんどだ(その点において、私は息子を尊敬している。だからと言って彼が進路変更しても落胆したりはしない)。だからこそ、人や社会の役に立ち、人や社会を支える道筋が見えていない子には、大学に行ってほしいのだ。
窮屈な日本社会において、じっくり自分と向き合える4年間はプライスレスだ。専門の学問を究めるもよし。人生の課題と向き合うもよし。そんな社会から許された4年間をみすみす無駄にしてほしくはない。
しかし、今回の一件には今日的な事情もあると思われる。大学の授業がオンラインで行われていて、学生が学生である実感を持ちにくいのだ。実際に大学の相談窓口には例年以上の相談が寄せられているという。全年代の年間自殺者は近年減少傾向にあるにもかかわらず、小中高生の自殺は増えている(厚生労働省調べ)。多感な時期をコロナに翻弄された子どもたちを思うと胸が痛い。
この記事を書いたひと
木下 真紀子
(きのした まきこ)
コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。