それは本当に子どもに与えたいものですか?

先日教育に携わる知人と食事をした。もっぱらの話題は教育について。お互い子育て中であり、教育については関心が高いので、話題は尽きることがない。その中でハッとしたことがある。知人が、いまの親は「考えていない人が多い」と言うのだ。

あらためてそう言語化したことはなかったが、私も常々いろいろな事象を見るにつけ、なぜ親がきちんと考えてこなかったのかと思うことが多々ある。

私が高校の教員をしていたころ、すでに携帯電話が普及していて、多くの生徒が携帯を持っていた。端末代や通信料を含めると月々の出費はかなりのものだろうに、なんて裕福な家庭が多いのだろうと思っていた。

ところが、いざ大学受験となると、とたんに親御さんたちはお金を気にしだすのだ。確かに大学の学費に備えてはいても、受験にかかるお金(受験料・交通費・宿泊費)にまでは気が回らないのかもしれない。

それにしても、と私は心の中で憤っていた。おそらく子どもが欲しがるからと与えたであろう携帯電話。仮にその料金が月々5000円だったとして、それを3年間貯金していれば18万円! 18万円もあれば、大学受験の選択肢もかなり増えたはずだ。せっかく叶えたい夢があるのに、諦めざるを得ない生徒を見ると胸が痛んだ。

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親の選択は子どもの人生を左右する。それは携帯に限ったことではない。

例えばテレビ。私も経験があるが、泣き止まない子どもにテレビを見せるとすっと泣き止む。その瞬間は泣き声から解放されるし、家事もはかどる。けれど、テレビは幼ければ幼いほど視神経に影響を及ぼすし、テレビを見ている間の思考は停止すると言われている。乳幼児にテレビを見せることに抵抗のあった私は、息子にほとんどテレビを見せなかった。その代わり抱っこのし過ぎで腱鞘炎になったし、部屋は常に片付いていない状態だったが、私は「考えた」結果「息子にテレビを見せない」という選択をした。

習いごともそう。息子のお友達で週6日は習いごとで、もし一日でも休むと振替が大変になるという子がいた。何人かで集まって遊ぼうというときも、一人だけ来られないその子が何だか気の毒に思えた。うちは一人っ子なので、基本的に息子の相手は私がするしかなく、平日のすべてを習いごとにあてたらどんなに楽だろうと思うこともあるし、いろいろさせてみたら思わぬ才能に気づくかもしれないとも思うこともある。しかし一方で、習いごとはほとんどが受け身で、自分で考えて行動することがないと思っているので、私は「考えた」結果「習いごとは本人が行きたいものを二つまで」という選択をしている。

……などと書くと、いかにも私の子育てが正しいと主張しているように思われるかもしれないが、そうではない。子育ての答え合わせはその子が人生を終えるときにしかできないもので、私だって日々試行錯誤しながら子育てをしている。

ただ、日々の選択に対して、親が必ず「考えて」ほしいのだ。子どもがある程度成長したら、そこに「話し合い」も入れてほしい。子育てはやり直しが利かない。誤った選択の積み重ねが、取り返しのつかない事態を招くこともある。だから、すべての選択に対して親(ある程度の年齢になれば、子どもも)が選択の理由を語れることこそが大事なのだ。「考えて」「話し合った」結果が、そうしなかったときと同じであっても、その選択の意味は大きく異なる。

子どもが欲しいものを買い与えたり、親が楽をしたりすることは簡単だ。しかし、子どもの人生の優先順位を考えたときに、果たしてそれが一番大切なものなのだろうか? 子どもが目先のことしか考えないのは仕方がないとしても、子育てをしている親には先のことまで見通してほしいと切に願う。

この記事を書いたひと

木下 真紀子
(きのした まきこ)

コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。