【親になるということ】親子で違う人間であることを理解させる練習

2022年7月29日

先日オンラインのミーティングをしていたときのことです。子育て中のママが多かったために、開始時間を夜10時過ぎにして、30分程度の予定でした。すると途中で、ある参加者の方のお子さんが入ってきました。ミーティングの議題はだいぶ込み入った内容でしたので、全員が集中してお話をしたいということでこの時間帯に決めたのでしたが、子どもが入ってくるとどうしても議論が止まってしまいます。

その子のお母さんは「あと少しだから待っていて」「ここでじっとしていて」と注意しますが、子どもはそんなこと関係なく「ママ、いつ終わるの?」「テレビ映ってるの?」と話したり、ママに抱きついて自分のほうを向かせようとしたりしていました。お子さんは小学校1年生。最初は「もう少しだからね」とか「おとなしく待っていてね」と声をかけていた他の参加者の方も、徐々に黙り込んでしまい、結局最後はそのママが大きな声で子どもを叱って、子どもが泣き出すという形で終わってしまいました。子どもが仕事の邪魔をして効率よく仕事が進まない、リモートワークのデメリットと言われる光景です。

これは、しつけができていないという問題でしょうか。

もちろん、夜10時過ぎに小学校1年生の子が起きているということがまず問題です。また、「母親は家で仕事をしている」という状態に、他の家族(特に配偶者)が協力していないということも問題です。しかし私は、もっと重要な課題がここにはあると思っています。

それは何かというと、「母親に対する不安」と、「自分(子ども)の知らない母親の世界があることを理解できていない」ということです。小さな赤ちゃんのころから少しずつ、ママは自分とは違う人間であることを理解させる練習が必要なのです。

「いまここにママはいないけれど、用事が終わったらちゃんと自分のところに戻ってきてくれる」という絶対的な安心感は、繰り返しその現象(ママは必ず自分のところに戻ってくる)を体験することで培われると思います。これはそんなに大げさなことではなく、日ごろの「あとでね」とか「ちょっと待っててね」の後に、「待っていてくれてありがとう、ご用事はなあに?」と、子どもと向き合う時間をつくれば良いということなのです。

「あとでね」と言われて待っていたのにそのことを忘れられてしまうと、ママの言うことが信じられなくなる(不安になる)から待てない、いますぐ自分のほうを向いてほしいということになるのではないでしょうか。また、大勢の人の前ではママが叱らないということを知っていて、あえて人の目の前でわがままな態度をとることで、「ママはいつでも自分を最優先してくれるという満足感」を満たすという、間違った認識を植え付けてしまうことにもなります。

もうひとつの理由は、これは子離れの逆で、親離れの準備ということになります。親離れには「精神的なもの」と「金銭的なもの」があって、金銭的にはもちろんお子さんが自分で収入を得られるようになるまで続くでしょう。しかし精神的な親離れは、区切りが見えない分だけわかりにくく、できるだけ早いうちから親が意識していくものだと思います。

つまり幼少のころから「あなたと私は違う人間。あなたの知らない世界を私(ママ)は持っている。それは、たとえあなたであっても奪うことはできない」ということを、これも繰り返し伝えていくことで理解可能になるのかなと思います。最初はできなくても、だんだんと「いまはガマン」がわかるようになります。そのとき「待っていればちゃんとママは戻ってくる」という安心感がセットされれば、子どもはママが困るようなことをしなくなるのではないでしょうか。

これは子どもたちが社会に出たとき、人との距離の取り方や交渉の仕方、自分の取るべき態度を理解することなどに役立ちます。「状況を察知する」想像力と、「状況に応じて自分の取るべき対応を考え、実行する」能力ですね。そしてこういうことは、ママが仕事をしていなくても、いつでも実行することができます。

例えば私の友人はお子さんが小さかったとき、用事の最中に「ママ、あのね」と言われて「いま適当に聞き流すのと、あとでじっくり聞くのとどっちがいい?」と聞いたそうです。子どもだからわからないではなく、一人の人間として対応するってこういうことかと、私はとても感心したことを覚えています。

また、まったく関係ないような例ですが、こういうケースもあります。私はとても目が悪くて、メガネを外すと何も見えません。子どもたちが小さいときにふざけて私のメガネに触ったり、取り上げようとしたときに、とても厳しい声で「あなたには関係なくても、私にとってメガネがない生活は考えられない。目が悪い人にとってメガネは見るために絶対必要なものだから、触ってはいけない」と伝えました。目が悪い人の状態など子どもは想像できないと思いますが、私にとっては死活問題。触るたびに注意をしていたら、二十歳になったいまでも「お母さんのメガネには触らない」と笑いながら言います。

あなた(子ども)のことは大好きだし大切だけれど、私(ママ)にも自分の人生がある。お互いに尊重し合って生活しましょうという関係をつくることが、子どもの精神的な親離れにつながるのではないかと思います。

この記事を書いたひと

ライター:吉田理子様

吉田 理子
(よしだ りこ)

1971年生まれ。Windows95発売当時に社会人となり、以降パソコン教室講師やITサポート等の仕事に従事。2005年に企業・学校向けのIT、情報教育を目的とした企業組合i-casket設立。2018年には一般社団法人s-netサポーターズを設立し、主に小中学校にて子ども・保護者・教員向けの情報リテラシー、プログラミング的思考に関する講座を行う。そのほか地域ボランティアや主権者教育の活動をボランティアで。趣味は料理と読書。