【貨幣の歴史×STEAM】お金の単位「円」はいつから使われている? 日本最古の硬貨とは?
令和6年7月3日、1万円札、5千円札、千円札が改刷されました。
日本では日々進歩する偽造防止技術を取り入れ、目が不自由な方や外国人など誰もが使いやすいユニバーサルデザインをより意識したデザインにするために、およそ20年ごとに改刷しています。
いまの日本のお金の単位である「円」は、明治4年から使われています。
時代劇でも耳馴染みある「両」という単位から「円」に変わるまで、どのような経緯があったのでしょうか。
江戸時代には金貨、銀貨、銭貨の3種類の貨幣を使用していました。
金貨の単位は「両(りょう)」「分(ぶ)」「朱(しゅ)」と3つあり、「1両=4分=16朱」という4進法を採用。銀貨は重さで価値を表し、基本単位は「匁(もんめ)」で1匁が10分で約3.75g、銭貨は「文(もん)」という単位でした。
この3つの貨幣は、18世紀ごろには幕府による公定相場で「金1両=銀60匁=銭4,000文」となっていましたが、実際には時価相場で交換されていました。
江戸時代には幕府が発行していた金貨、銀貨、銭貨のほかに、各藩が「藩札」と呼ばれる藩内だけで使用できる独自の紙幣を発行。さらに幕末には外国の貨幣が大量に流入していたため、明治時代初頭は、貨幣制度が混乱していたとされています。
このため、明治政府は、日本全国で統一した貨幣をつくるための制度作りに着手します。
明治4年に「新貨条例」が制定され、貨幣の単位「円」を導入。金1.5g=1円とした貨幣を発行し、「1円(えん)=100銭(せん)=1000厘(り)」としました。
このとき新しい貨幣として鋳造されたのは、金貨が5種類(20円・10円・5円・2円・1円)、銀貨が4種類(50銭・20銭・10銭・5銭)、銅貨が4種類(2銭、1銭、半銭、1厘)の合計13種類です。
物品貨幣のはじまり
人類は貨幣を使用する前には、「モノ」と「モノ」を交換する、いわゆる物々交換をしていました。
しかし「物々交換」では、相手が持っているモノのなかに、自分がほしいモノがない場合には交換できません。
そこで、貝や布、塩、コメ、砂金など比較的価値が下がりにくいもので、自分がほしいモノを手に入れる「物品貨幣」が行われるようになりました。
もっとも有名な物品貨幣のひとつとして、紀元前16世紀から紀元前8世紀の殷・周の時代に使われていた中国の「たから貝」が挙げられます。
物品貨幣の特徴は次の3つです。
- 誰もがほしいもの
- 価値を表現できるように分割できるもの
- 持ち運びが簡単で保存が可能なもの
物品貨幣が行われた痕跡は残っているのですが、残念ながら物品貨幣がいつから始まったのかはっきりした資料は残っていません。
「お金」に関連する漢字、慣用句
日本では日本語が話され、日本語を表す文字として漢字・ひらがな、カタカナが使われています。
ところで、世界にはどれくらいの言語があるのでしょうか。
日本でいう方言を言語としてカウントするか…など、学者によって考え方が違いますが、現在、地球上で使われている言語は5,000とも8,000とも言われています。
2023年現在、国連加盟国が193ヵ国であることを考えると、言語の多さが分かります。一方で、文字を持っている言語は400程度と言われています。
言語が文字を持つようになるためには新たに作りだすか、すでに使われているほかの文字を借りてくるかの2つの方法があります。
日本の場合、中国から文字が伝わってきました。
日本に漢字が伝わってきた時期ははっきりとはしていませんが、福岡県で出土した金印に「漢委奴国王」と記されていたことから、1世紀ごろだと考えられています。
「貝」が付く漢字
漢字は「部首」と「つくり」で成り立っています。
現在、新聞や一般的な書籍で使われている常用漢字は全部で2,136字。
このうち「貝」がつく漢字には、お金に関連する言葉が多いのは、中国でたから貝が物品貨幣として使われていたことに由来しています。
「貝」がつく漢字、どれくらい思い浮かびますか?
たとえば、貨幣の「貨」、財産の「財」、貯蓄の「貯」、費用の「費」、賃金の「賃」、資産の「資」。そのほかにも現在は「売買」と書きますが、旧漢字では「売」を「賣」と書きますので、やっぱり「貝」が入っています。
太鼓判を押す
いいモノであることを保証することを、「太鼓判を押す」といいます。
辞書で調べてみると、次のように載っています。
その人物や品物の質などが絶対的によいものであると保証すること
太鼓のようなおおきな判を押すこと
コトバンク
ところで、「太鼓判を押す」という言葉は甲州金に由来するという説があります。
戦国時代、甲斐の武田氏は「甲州金」という金貨を鋳造し、甲斐国内で流通させていました。
甲州金の丸い金貨の周囲につけた小さな丸印が太鼓の鋲(びょう)のように見えることが「太鼓判」の由来だと言われているのです。
なお、この小さな丸印は金を削り取るなど偽造・改変防止のために付けられたとも言われています。
「硬貨」のはじまり
硬貨がいつごろから使われているのか、現在のところ正確なことは分かっていません。
硬貨についてもっとも古い記録と言われているのは、今から4500年前、古代メソポタミア文明の記録です。
このころの硬貨は、現在のように硬貨ごとに価値が決まっている「計数貨幣」ではなく、取引ごとに金や銀などの重さを計り、その重さを価値の単位とする「秤量貨幣」だったと言われています。
現在発見されている硬貨のなかでもっとも古いものは、紀元前7世紀ごろ。現在のトルコ西部にあった「リディア王国」で使われていた「エレクトラム硬貨」です。
エレクトラム硬貨は、大英博物館が1904年から翌年にかけて行った、ローマ時代の都市遺跡「エフェソス」にあるアルテミス神殿を発掘していたときに発見されました。なお、エフェソスは2015年、ユネスコによって世界文化遺産として登録されています。
この硬貨は、金と銀の合金で作られていて、ライオンの顔のような絵が象られています。
リディア人が交易にどれだけ硬貨を使ったかはわかっていませんが、紀元前600年にはギリシャの都市国家の大半が自国の硬貨を製造していました。
日本最初の硬貨
中国では西暦621年に「開元通報」という貨幣が造られはじめ、これが遣唐使などによって日本にも伝わってきました。当時の日本は、中国にならって律令に基づく中央集権国家を目指していたため、この開元通宝をモデルに硬貨が造られ始めます。
日本最古のお金は、長い間、708年に造られた「和同開珎(わどうかいちん)」とされていました。しかし、平成10年、7世紀後半の大規模な工房遺跡である奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で、約40枚の「富本銭(ふほんせん)」を発見。このとき、富本銭の完成品だけではなく失敗作や未完成品、さらには富本銭を造るためのさまざまな道具などもいっしょに発見されています。
「日本書紀」には、天武12年(683年)の記述に「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」という記述があります。これまで、ここに書かれている銅銭が何を指しているのか謎でしたが、今では、この富本銭を指しているのではないかと考えられています。
日本では富本銭のほかにも、7世紀後半から10世紀半ばまでの間に金属製のお金が13種類発行されています。朝廷が発行した貨幣という意味で、この古代貨幣は「皇朝十二銭」と呼ばれていますが、材料となる銅の産出量が徐々に減り、銅銭が小さく、さらには粗悪になっていきました。このため、958年には皇朝銭の鋳造を中止。これ以降、日本製の公的な硬貨は姿を消し、日本国内で再び貨幣づくりが始まるのは、戦国時代を経て豊臣秀吉の時代になってからでした。
鋳造が中止されてから再開されるまでの約600年間、どうしていたのかというと中国から輸入した貨幣を使用するか、価値が安定したコメや絹、麻などをお金の代わりに使っていました。
古代の貨幣の造り方
古代、貨幣はどのようにして造られていたのでしょうか。
この時代の貨幣は、溶かした銅を鋳型に流し込んで造られていました。銅が冷えて固まったあとに鋳型から取りはずし、1枚1枚をタガネで切り離して、銭貨の側面のはみ出した部分をヤスリで削りとって整形。その後、中央の穴をヤスリで四角く整え、表面や側面を砥石などで研磨していました。
鋳型から取り外したばかりの銭貨は、制作前のプラモデルのパーツようになっていて、その形が木の枝に見えることから「枝銭」と呼ばれています。
現在の5円玉や50円玉は真ん中に丸い穴が開いていますが、古代の銅銭は真ん中に四角い穴が開いています。この四角い穴が開いた硬貨は、紀元前3世紀ごろの中国・秦の時代に始まり、日本だけではなくベトナムや朝鮮半島など東アジア一帯で19世紀ごろまで使われていました。中央の四角い穴は、貨幣をまとめて穴に棒を差し込んでヤスリで整形する際に、回転を止めるためだという説があります。
さいごに
紙幣が改刷されたことに伴い、貨幣の歴史とSTEAM教育を掛けた連載をしてみたいと思い立ちました。ぜんぶで4回から5回くらいの連載を考えています。
連載1回目の今回は、物品貨幣からお金が誕生するまでについて調べてみました。
普段、何気なく使っている漢字の成り立ちには意味があります。「貝」のつく漢字も、おもしろいくらいお金に関連していて、少ししか紹介できなかったのが残念なくらいでした。
成り立ちを知ることで、漢字を覚えやすくなるかもしれません。
いま、漢字を覚えるのに苦労している方、ぜひ、やってみてください。
また、現在の5円玉や50円玉に穴が開いているのは、材料となる金属の量を減らすためだったり、ほかの硬貨と区別するためだったりします。
しかし、古代の銅貨に穴が開いているのには違った意味がありました。
今回紹介したのは、四角い穴が開いている銅貨ですが、丸い穴が開いている銅貨も存在しています。
江戸時代には、硬貨の穴に紐を通して何枚もの銭貨を持ち運んでいたと言います。
いまでも関西地方では、お宮参りの際に「赤ちゃんが一生お金に困りませんように」という願いを込めて、お金に紐を通した「紐銭(ひもせん)」を贈る風習が残っています。
(koedo事業部)
【参考】
- 日本のお金「円」はいつ生まれた?/man@bow 経済について楽しく学べる‼
- お金の歴史に関するFAQ/貨幣博物館
- 新貨条例/ウィキペディア
- ことばの疑問/ことば研究館
- 語源・由来「太鼓判を押す」「お墨付き」人のことを認める・保証するときの表現/世田谷自然食品
- 世界で最初の硬貨とは?/man@bou お金の歴史雑学コラム
- 「ヴィジュアル版 貨幣の歴史」デイヴィッド・オレル著・角敦子訳/原書房
- 富本銭について/三菱UFJ銀行
- 青銅貨幣/世界史の窓
- 銭を使った「まじない」とは?/man@bow お金の歴史雑学コラム