【貨幣の歴史×STEAM】銀行のルーツは? 通貨に関する豆知識

現代の日本で、紙幣や硬貨と商品を交換することに対して疑問を持っている人はいないでしょう。しかし日本の貨幣はただの紙と金属でできています。

ただの紙や金属である「貨幣」と商品が交換できるのは、「国が保証し、みながそれをお金として価値がある」と信用しているからです。

実際、アメリカ・ドルやユーロ、円は世界中の人が通貨として信用しているためよく使われていますが、貨幣としての信用度が低い国もあります。たとえば、カンボジアではアメリカ・ドルの方が安定しているため、特に都市部や観光地では、自国通貨である「リエル」ではなく、アメリカ・ドルが主な支払い手段となっています。

両替商の役割

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貨幣が誕生する前、人々は「物々交換」でほしいものを手にいれていました。

それが次第に、貝や布、コメ、砂金、塩など誰もがほしいもので、かつ比較的価値が下がりにくいものと、自分がほしいものを交換する「物品貨幣」に移行していきます。

しかし、運搬技術の発展とともに貝や塩などが比較的手に入りやすくなったり、コメは天候に左右されやすかったり、砂金は配合率を変えるなど偽造しやすかったりなど、必ずしも適正な取引ができているとは限りませんでした。

貨幣制度が誕生した背景は、現在でもはっきりとはわかっておらず、議論の余地が残されています。しかし、どの条件下でも同じ価値を持つモノと交換する必要が生じたことから「貨幣」ができたという説があります。

貨幣が誕生した当初は、金や銀、銅などの価値のある貴金属を材料としていました。つまり、貨幣そのものに価値があったということです。

しかし、貴金属を利用した貨幣は重いため運搬に不便で、なおかつ盗難に遭いやすいというデメリットがありました。そこで活躍したのが「両替商」という仕事です。

日本における両替商は室町時代に誕生して江戸時代に確立しています。
江戸時代の通貨は金貨・銀貨・銅貨の3種類。この3種類の通貨はそれぞれ単位が違ったり、相場が頻繁に変化していたりなど、お金の仕組みが現在と比べて複雑でした。

また、主に使っている貨幣が藩によって違うこともあったため、地域をまたいで活動する商人などは貨幣を使うたびに両替が必要でした。

両替商は金・銀・銅の交換を専門とする商人のことですが、経済の発展とともにお金を預かったり、貸し付けたり、送金したりなどの役割を果たすようになります。

これらの両替商が、日本では明治時代に銀行に転換していきます。
特に大きな両替商だった三井・住友・鴻池(こうのいけ)の3つの両替商のうち三井・住友は「三井住友グループ」として現在でもその名を残す大きな銀行グループとなっています。鴻池も明治時代に銀行を設立。その後、三和銀行を経て現在は三菱東京UFJ銀行となっています。

銀行の起源

銀行の歴史は古く、なんと紀元前3000年までさかのぼることができます。

現在のイラクにあたる、チグリス川・ユーフラテス川の下流にあった『バビロニア王朝』では、神殿で財産や貴重品を保管したり、穀物や家畜を貸し付けたりしていたとされていて、これが銀行の起源だと言われています。

また、古代エジプトでは穀物がお金の機能も果たしていていたため、穀物倉庫が銀行のような役割を果たしていたようです。

日本最初の「銀行」は、第一国立銀行(現みずほ銀行)で、1873年(明治6年)に開業。「国立」という名称は初代頭取である渋沢栄一が「ナショナル・バンク」を訳したもので、国営の銀行という意味ではなく民間の銀行でした。

Bankの語源と日本語訳

英語で銀行を表す「Bank」の語源は、12世紀ごろに貿易や文化の中心地だった北イタリアにおいて、両替商が使用していた長机や腰掛のことを表す「BANCO」からきているという説があります。

そのBankを日本語に翻訳するにあたり「お金を扱う店」という発想から、まずは中国語で「店」を表す「行」を使うこととし、「金行」と「銀行」の2つが有力な案として浮上しましたが、語呂が良いということで「銀行」が選ばれたそうです。

金本位制度と管理通貨制度

金貨を持ち歩くリスクを回避するために発行された預り証(手形)は、やがて現在の紙幣のような役割を担うようになります。つまり、金貨を使わなくても、預り証だけで売買が行えるようになります。

このとき、金貨の代わりに発行された預り証はいつでも金(きん)と交換することができました。このように預り証に書かれている金額と同額の「金」を交換できることを「金本位制度」と言います。

金本位制度では、各国の中央銀行が金貨の代わりに兌換銀行券(だかんぎんこうけん)を流通させます。そして、金を中央銀行に集め、要求に応じて兌換銀行券と中央銀行が保有している金をいつでも交換することで兌換銀行券の信用を得ています。

日本銀行兌換銀行券
日本銀行兌換券甲10円 【上】表面【下】裏面
/お札と切手の記念館
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金本位制度は、1816年、イギリスが世界ではじめて採用しました。当時のイギリスは産業革命によって大量生産が可能になった商品を世界へ輸出しようとしていました。そこで、まずイギリス国内で金本位制度を定着させ、植民地だったインドなどに広げていきます。このように交易が進むにつれて世界各国で金本位制が取り入れられ、20世紀のはじめごろまでは金本位制度が世界の主流となっていました。

日本では明治政府が金本位制度の本格導入を模索しましたが、当時の日本は金の保有量が少なかったことから、1885年(明治18年)、まずは銀本位制度を採用。その後、1897年(明治30年)に金0.75g=1円とする「貨幣法」を制定し、日清戦争の賠償金を準備金として金本位制度がスタートします。

金本位制度のメリットとして、インフレを防ぐ効果が見込めること、為替相場が固定されること、そして貿易が行いやすいことなどが挙げられます。

一方で、金本位制度のデメリットとして「金の保有量分しか通貨が発行できない」ことが挙げられます。つまり、金の保有量が少ない国は通貨の供給量が制限されてしまい、経済が成長しないことにつながります。日本は1917年には第一次世界大戦のため金の輸出を禁止し、1932年(昭和7年)に金本位制度を廃止しました。諸外国も第一次世界大戦や世界恐慌をきっかけに1930年代に次々と金本位制度を廃止しています。

なお、現在の日本を含む多くの国では、管理通貨制度が採用されています。

管理通貨制度とは、各国の中央銀行が自国の経済に見合った貨幣を発行するしくみです。日本では、1942年に公布された日本銀行法により兌換銀行券を廃止し、管理通貨制度へと移行しています。

おまけ

世界を見渡すと、現在にいたるまでにいろいろな貨幣が存在しています。ここで、その中からほんの少しだけ紹介させていただきます。


世界最大貨幣・世界最小紙幣

世界最大の貨幣は、西太平洋のヤップ島において、結婚式などの特別な儀式や不動産売買等で使われている「フェイ」という石貨です。「フェイ」は、ヤップ島から400km以上も離れたパラオ島で切り出してカヌーに乗せてヤップ島に運びます。大きいもので直径が3.6mにも達すると言われています。

なお、「紙幣」としてもっとも大きいのは、中国で1375年(明の時代)に発行された「大明通行宝鈔(だいみんつうこうほうしょう)」で、大きさは縦338mm×横220mm。A4サイズの紙が縦297mm×横210mmですので、いかに大きいかが分かります。

では、世界でもっとも小さなお札は…というと、1915年から1919年にロシアで発行された「切手紙幣(縦31mm×横24mm)」です。第一次世界大戦下で金属が不足したため、コインの代わりとして発行されましたが、間違って切手として使う人もいたそうです。

ロシア「切手紙幣」
切手紙幣 10カペイカ/
お札と切手の記念館
(最終閲覧日:2024,8.30現在)

日本の普通切手のサイズは縦26mm×横22mmですので、ロシアで発行された切手紙幣は、まさに切手くらいの大きさだと言えます。

ギネスブックにも掲載 世界最高額の紙幣

日本で現在使われている紙幣の最高額は1万円。アメリカで使われている紙幣の最高額は100ドル、韓国では2009年に発行された5万ウォンが最高額です。

ギネスブックにも掲載されている歴史上でもっとも一番高い金額の紙幣は、1946年にハンガリーで印刷された紙幣で、その額「10垓(がい)ペンゴ」。

ハンガリー「10垓(がい)ペンゴ」
ハンガリー 10垓ペンゴ/
お札と切手の記念館
(最終閲覧日:2024.8.30現在)

「垓(がい)ってなに?」を思った皆さんのために、数字で表すと「1,000,000,000,000,000,000,000」となります。これでは、「0」がたくさん並んでいることは分かっても、やっぱりちょっとピンときません。そこで、数詞を順に表してみると…千、万、億、兆、京と続き、その次がようやく「垓」です。

あまりにもゼロがたくさん並ぶため紙幣には表記できず、省略されていたそうです。「10垓ペンゴ」紙幣は印刷はしたものの、けっきょく発行はされませんでしたが、1垓ペンゴまでの紙幣は実際に発行されています。

当時のハンガリーでは戦後の物資不足によって物価が急騰し、ハイパーインフレーションという現象が起きていました。そのため、それまでに使われていた額面では日常生活もままならなくなり、ここまで額面の大きな紙幣が印刷されたということです。同じような出来事が第一次世界大戦中のドイツでも起きていて、「100兆マルク」紙幣が発行されています。

さいごに

時代劇でよく耳にする「小判」は実際に「金」を使用して作られていたため、小判そのものに価値がありました。ところがいまの貨幣は、たとえば1万円札は実はただの紙に過ぎません。それでも1万円札に1万円の価値がある…ということに対して、現代の私たちは特に疑問を持っていません。

それは、国が保証し、みんながそれを「価値があるもの」として信用しているからです。たったそれだけのことで「円」は、世界でも信用度が高い通貨のひとつです。

さて、令和6年7月に20年ぶりに紙幣が改刷されたことに合わせて連載していた「貨幣の歴史×STEAM」も今回で最後ですが、いかがだったでしょうか。あまり多岐にわたって触れることはできませんでしたが、もし、少しでも「あれ?」「なんで?」「どうして?」と感じた部分があれば、ぜひご自身で深掘りしてみてください。

(koedo事業部)

【参考】