【学校3.0】序論:④オンライン化で親の役割はどう変わるのか

2021年1月18日

 前回、授業のオンライン化によって、「先生の選択の自由」や「カリキュラム選択の自由」というものが可能な時代が来るのではないかと書きました。今回は、そのような時代が来たときに「親の役割はどのように変わっていくのか?」ということについて考えてみたいと思います。

 まず、現代の教育制度の中での親の役割について考えてみたいと思います。教育における親の役割の一番は、やはり健康管理になるのではないでしょうか。子どもの衣食住の安全を保障することが、親の最低限の役割だと言えます。

 次に出てくるのが学校教育になります。現状の学校選択は、地理的に通学可能な中から学力レベル、校風、部活の活発さ、文化祭・体育祭などの行事への取り組みによって、親子で話し合いながら選択をしています。

 少し話がそれます。前回のコラムではあえて書きませんでしたが、先生の選択やカリキュラム選択の自由が本当に実現すれば、学校行事選択の自由というものも可能になってくると思います。

 部活や文化祭、体育祭、修学旅行など、オンライン上で知り合った仲間と自由に自分たちでイベントを企画するのも面白いでしょう。例えば、YouTubeの動画コンテストや自主製作アニメの発表、ダンスの発表なども、SNSのプラットフォームさえ整備されていれば子どもたちが自主的に企画運営することが可能になってくると思います。

 そういう時代であれば、学校に属する意味での部活などは衰退していくと、私は考えています。スポーツであればクラブチームのようなところに所属したり、文化系であれば自分たちで自主的にサークルを立ち上げたりと、より自主性・主体性が必要な時代になっていくのではないでしょうか。

 話を戻します。

 先生やカリキュラムの選択の自由が本当に実現すると、その選択する能力が親に求められるようになっていくはずです。自分の子にはどういう先生が合ってくるのか、次の時代にに必要な能力・カリキュラムは何なのか、こうした情報を的確に読み取り判断できる教育リテラシーが親に求められるようになってくるのです。

「自由には責任がともなう」とよく言われますが、教育の選択の自由が拡がれば拡がるほど、親の責任は大きくなっていくでしょう。

 そういう時代になったときに、教育リテラシーの高い親が子どもをしっかりと育てられ、教育リテラシーの低い親はそれなりの子どもを育てることになります。これを教育学では「社会階層の再生産」と言います。高学歴・高所得のご家庭からは高学歴・高所得になりやすく、それほどでもないご家庭からはそれなりの人生になるということは、今の社会でも起こっています。

 未来社会の学校が本当に実現するなら、「社会階層の再生産」はよりはっきりとした形で再現され、格差が生まれやすい社会になっていくはずです。ただ、この「社会階層の再生産」は国や学校の制度の問題ではなく、「個人の能力は親子で引き継がれる」という当たり前のことから起こることなんです。

 また別の視点から見れば、カリキュラムの選択の自由が子どもたちに自由を与えるのであれば、子どもの社会階層の移動はとっても楽になるとも言えるのです。子どもがオンラインの世界で自分の師事するべき先生を見つけ、自分で習うことができれば、親が想像もできなかった世界へと向かうことも可能になるからです。

 オンライン技術の発達により、教育の自由化が進むのであれば、親の教育責任はさらに大きくなり、教育リテラシーの向上が求められる社会になるでしょう。親の教育リテラシー、あるいは社会に対する理解そのものが、子どもの可能性に影響を与えてしまう時代がやってくるのではないでしょうか?

 さらに言うのであれば、先生・カリキュラム選択を代行してくれる「教育コンサル」のような職業も現れてくることが予想されます。

 親の教育権を取り戻し、親が教育選択の自由を行使できるようになることで、子どもに与える影響は計り知れないものがありますが、その責任を負いたくないのであれば、現状の学校制度というのはとても良くできていると言えるのではないか?とも思えてしまうのです。

この記事を書いたひと

牧 静
(まき しず)

プロ家庭教師・母親コーチ。法政大学文学部教育学科卒。専攻は教育行財政学。大学卒業後も教育心理学、発達心理学、認知心理学等を学び、子どもの成長についての高い見識を持つ。大学卒業後15年間塾講師を勤め、教えた生徒は3,000名にのぼる。開成高校、慶應女子高校、早稲田実業高校など、名立たるトップ校の合格実績を有する一方で、不登校や学習に課題のある生徒へのサポート活動も行う。近年は「子どもの教育は親の教育から」と考え、母親向けのセミナーなども行っている。