コクゴヲアナドルナ
「国語って花形教科じゃないからね」
私が高校の国語教師になったばかりのころに聞いた言葉である。言葉の主は私の高校時代の恩師である国語の先生。長らく国語を教えている先生の言葉は、新米教師だった私の胸に重く響いた。
テクニック論になってしまうが、大学入試の直前でも点数が伸びるのは社会や理科などの暗記できる部分に限られる。また、普段から生徒がよく職員室に質問に来るのは数学や英語という印象が強い。国語も質問を受けないわけではないが、他教科に比べると頻度が低く、なんとなく存在感が薄いのだ……。
みんなが薄々気づいている通り、国語は急に点数を伸ばすのが難しい教科だ。だからと言って国語をなおざりにしていいわけはない。むしろ国語はすべての教科の基礎であり、国語ができない生徒は他の教科でも伸び悩む。いや、一定レベル以上は伸びないと言ったほうが正しいのかもしれない。だからこそ、早くから取り組む必要がある。
現に英語の先生が、帰国子女で英語のセンスはあるのに、国語力(日本語の力)がないために国立大学の二次試験レベルになると歯が立たない生徒のことを嘆いていた。英語に限らず、日本で受験する試験はすべて「日本語」で書かれているのだから、国語を侮ってはいけない。
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先日、Web制作をしている友人とフリーライターをしている私で、Clubhouseで話をした。話題はライティングについて。世の中には「日本語だから誰でも書ける」と考えている人があまりにも多いのだ。
実際にホームページを作るとなると、ホームページそのものを作るのは自分でできないから専門家に頼むけれど、文章は自分で書けるから何とかするという人が多い(余談だが、そういう人はホームページに載せる写真も自撮りだったりする)。
もちろん自分で書ける人は書けばいいと思うのだが、残念ながらきちんとした日本語を書けている人は少ない。文法的に間違っていたり、まとまりがなかったり、というのはざらである。何が言いたいのかわからない文章もよく見かける。厳しいことを言うようだが、そんなホームページはいくら見た目が美しく操作性が良くても、結局は意味をなさない。
しかし、ライティングは日本語だからと軽視されているのが現実だ。そうでない方もいるからライターとしての私の仕事が成り立っているのだが、日本語の大切さを認識されている方に出会うと、自分の仕事になるかならないかはさておき、無性に嬉しくなってしまう。
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母国語なら、ある程度耳や目から習得できるのは当たり前だ。しかし受験やビジネスとなると一定以上のレベルが必要とされる。しかし、その認識がないために、国語や日本語を疎かにしている人が多いように思う。
2020年度から小学校での英語教育が全面実施されたことによって英語教育熱が加速したように思うが、母国語もおぼつかない子どもに外国語を教える意味があるのだろうか。門外漢であることは承知で言うが、メリットがあるとすれば「幼いほうが耳がいいので発音がよくなること」くらいしか思いつかない。
私は、元国語教師として、現役ライターとして声を大にして言いたい。受験を制したかったらまずはしっかり国語に取り組め! ビジネスを拡大させたかったら、きちんとした日本語で発信しろ!と。国語という礎がきちんとしていれば、あとはおのずと伸長してくると思うのだ。
小学生がいる家庭でも、「音読」だけ付き合ってテストのやり直しなどは一緒にしないという保護者が多いだろうが、国語は小さな積み重ねでしか力をつけられない。成長して後悔しないためにも、いまからでも親子で地道に取り組んでほしいと切に願う。
この記事を書いたひと
木下 真紀子
(きのした まきこ)
コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。