覆水盆に返らず

中国語の勉強を始めた。いままで何度となく中国語に挑戦して失敗した経緯については割愛するが、意思の弱い私は誰かが伴走してくれないとダメだということが身に染みてわかったので、今回は少々高額ではあるが“コーチング”という形を選んだ。これはいわゆる“レッスン”と違い、最初に自分のゴールを設定して、そこから逆算したスケジュールと内容で先生に「伴走してもらう」というものだ。

奇しくも、先日仕事でダイエット協会の代表とお話をする機会を得た。巷にダイエットの情報はたくさんあるが、正しいものをその人に合った形で提供し、なおかつ「伴走してくれる仕組み」がないと、ダイエットに成功する人はほとんどいないとおっしゃっていた。

まわりを見渡してみても、意思の強い人というのはそうそうお見かけしない。むしろ「何かをするときは誰かにお尻を叩いてもらわないとできない」と公言している人をよく見かける。やはり何かを成し遂げるためには「人の手」が必要なのだ。そして、情報やスキルが無料で手に入るようになったいま、人は「人の手」に価値を感じるものなのだと思った。

ところが、である。巷にはAIコーチなるものが登場しているらしい。スポーツの現場において選手の身体の動きを分析するAIなどはまだ理解の範疇だが、「AIコーチ・マイコ」のように、一人ひとりに寄り添ってコーチングをし、目標達成を実現するAIコーチの存在には舌を巻いた。

これからの時代、コーチまでもAIに代替されるのだろうか。この流れは不可逆的に思えるが、果たしてこれでいいのだろうか。

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ここで思い出すのがアマゾンだ。言わずと知れたECサイトで有名な会社だが、2000年日本に初上陸した際はオンライン書店だった。リアルな書店が太刀打ちできないほどの品揃えと、送料無料ですぐに自宅のポストに届くサービスは私たちを魅了した。

アマゾンが勢いを増すのにつれて、街の書店は次々と姿を消した。アマゾンが扱う商品の種類を増やすのにつれて、様々な小売店が姿を消した。こうして私が子どものころにはたくさんあった各種小売店は、いまやほとんど見かけなくなった。

何事も一度なくなったものを復活させるのは大変なことだ。駆逐された書店や小売店も再び街に店を構えることはないだろう。

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ここ数年のIT技術はもはや、人間の想像を超えたスピードで進化しているように思えてならない。

様々な分野でIT技術が用いられ、人の生産性が上がることは喜ばしいことだ。しかし、そのおかげでもともと人に備わっていた能力が失われたり、本来人が関わることが望ましいことに「人の手」が入らなくなったりするのは、私たちの望むことなのだろうか。

現に私は、車にカーナビゲーション(カーナビ)が付きだしたころから紙の地図を見なくなったし、携帯電話を使いだしたころから人の電話番号を覚えなくなった。そんな生活に慣れきったいま、人の能力は使わないと退化するのだと実感している。これは多かれ少なかれ同じような経験をされている方は多いだろう。

世間はAIだ、DX(デジタルトランスフォーメーション)だとかまびすしいが、身の回りのものが本当にIT技術に「代替されていい」ものか、私たちは真剣に考える必要がある。

アマゾンが日本上陸を果たしたとき、消費者の誰が街から小売店が消えると予想できたであろうか。おそらく私を含め、目の前の利便性に目を奪われていた人たちが大半だろう。そして当事者でない限り、失われたものの大きさに目を向ける人は少ない。

しかし、もしこの流れに危険を感じたとしても「NO」を突き付ける術がないのが頭の痛いところである。

■参考資料
AIコーチ マイコ

この記事を書いたひと

木下 真紀子
(きのした まきこ)

コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。