“オンライン”という亡霊――本当に怖がっているのは誰だ?
新型コロナウイルス感染症が広がり、学校も休校、そして、休業要請――。いよいよ深刻な状況下ではあったが、少しずつオンライン授業に移行していったので、子供たちの混乱はほとんどなかった。
対面で授業ができる期間中に、午前と午後でリアルとオンラインを交互に受けてもらい、毎回フィードバックを受けていたからだ。子供たちはまったくもってノープロブレム。
問題なのは大人である。「休業要請の間はオンライン授業で対応します」というと、「本当に大丈夫か不安です。うちの子が集中できると思えません」という保護者が一定数いた。
そう、オンラインが怖いのは、大人たちなのである。
それもそのはず。人間というのは自分の知らないことや、見えないことには恐怖を覚えるからだ。私たち人間がお化けを恐れるのも同じ理由だ。
私もそう若くはないので、オンライン授業は受けたことも聞いたこともない世代である。教育現場にいなければ、おそらく大反対する派。だって、受けたことないから。教育はリアルが一番だと思うから。自分がそう育ったから。
いつの時代も大人は新しい物を否定する。昔、昔、漫画はくだらないと言われ、読めば馬鹿になると言われていた。でも、実際にいま、子供たちと触れていると「漫画くらい読め!」と言いたい。活字から離れすぎていまは漫画すら読めない子がたくさんいる。社会の歴史は漫画から導入して流れをつかませると学習効率が良いが、「先生、漫画ってどうやって読めばいいのかわかりません」という。「漫画くらい読め!」と心から思う。漫画から学ぶことは多い。勉強だけではないところでも、大人ですらも学ぶことは多い。
音楽も然り。かつてロックは野蛮だ、不良だと言われていた。でも、いまは立派な音楽として私たちの心を代弁してくれている。そう、いつの世も大人はいい加減で、無責任。
確かに、オンラインはいつでも、どこでも、誰とでもつながることができるゆえ、依存症にもなりやすい。経験値が浅く、判断ができない子供は特に注意が必要だとも思う。大人ですらゲームにはまる中毒性。親がゲームにはまって食事すら作ってくれないという生徒もいた。それくらい、ネットは毒にもなる。
しかし、いま。私たちの生活からネットを切り離すことはできない。スマホがない生活などできない。子供たちも同じ。共存していくしかない。
親子でしっかりルールを作り、この文明の利器を子供にとって最大限に有効に使えるように普段から教えていくべきだろう。
このコロナ禍の中、実際にオンラインにすぐに適応できたのは普段からスマホを使いこなしている子供たちだった。子供の適応能力はすごい。サクサク勉強を進めていく。
実際に私の娘もスマホを使ってパワーポイントの資料をサクサクと作る。私にはできない。自分の思いをきちんと伝えるための資料も、あの小さなスマホで作ることができる。
学校の空き時間や電車を待つスキマ時間で、課題を片づけている。それは、悪だろうか? 否、時間の有効活用をしている。とても効率が良い。
周りから見ると、高校生がスマホ片手にポチポチ打っていると遊んでいるように思うかもしれない。でも、ときどき、そうではない(ほとんどラインとインスタなのも否定はできず)。
見方を変えて、正面から受け止めていけば、オンラインは何も怖いことはない。
もちろんやり方次第ではある。ただ動画を見ただけで、勉強ができるようになったと思っては欲しくない。動画を見て「わかった!(かもしれない)」というのと、できるようになることはまったく違う。
私はオンラインであってもリアルの会話同様、双方向のキャッチボールが必要だと思っている。実際に、授業を聞いている様子を観察し、ノートを見て適切な問題を指示、演習させることで学力は定着していく。そして、何よりも「自分を見てくれている」という大人の目を感じることができる。
これが大事。離れていても「見てるよ!」と伝えること。オンラインなら、どこにいても「目」を届けることができる。自分を見てくれる「目」がある。子供を見守ってくれる「目」がある。
そう思えば、オンラインも怖くない。
この記事を書いた人
松本 正美
(まつもと まさみ)
「学ぶ力は、夢を叶える力!」松島修楽館代表。中学3年生の時に「将来は塾の先生になる!」と決意し、大学1年生から大手個別指導塾で教務に就く。卒業後、そのまま室長として10年間勤務。その後、新興のインターネット予備校で生徒サポートの仕事に携わった後、2013年に松島修楽館を開業。単なるテストのための勉強だけではなく、「どんな夢でも、正しい努力によって叶えることができる」ということを子どもたちに伝えるため、根本的な「学ぶ力」を育むことを重視した指導を行っている。2人の高校生の母。趣味はサックス、タップダンス。