息子の「なぜなぜ期」に戻れるならば

「あ、またトライされた」

小学6年生の息子のラグビーの試合を観に行った時のこと。対戦したのは息子のチームよりも強いチーム。これまで何度となく対戦し、一度も勝ったことのないチームだ。それにしてもよくトライされる。しかも、毎回同じ場所に。

注意深く見ていると、息子のチームの1人が完全に狙われていた。ラグビー歴が浅く、自分に任された役割が理解できていないため、見当違いなところに行ってしまう。そのうえ体が小さいこともあって、相手が走ってきてもタックルで止めることができない。大きな穴を見つけた相手チームは、容赦なくそこに攻め込んできた。

結局、大差で負けた。試合終了後、狙われていた子や、チームメイトの様子を見ていたが、誰一人としてそこが穴だったと気づいていない様子。もし「なぜ狙われているのか」と考えていたなら、もう少し失点を抑えられただろうに。

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2000年代に入り、AIが目覚ましい進化を遂げている。コンピュータ将棋が人間に勝つようにもなった。これはAIを用いて、人間が及びもしないような大量の棋譜を読み込み、データを蓄積・分析したことで可能になったという。

このこと自体は驚きに値するが、しかしよくよく考えればAIというのは受動的だということが分かる。(そもそも人間ではないAIにそんな表現を使うのが適切かどうか分からないが) AIは正解を導くことはできても、自ら問いを立てることはできない。コンピュータ将棋だって、人間が「どうしたら将棋で人間に勝てるか」と問いを立てるところから始まった。極端なことを言えば、人間が問いを立てて、そのために必要なデータを与えないと、AIは用をなさないのだ。

だとすれば、人間の価値ある営みというのは、能動的に“問いを立てること”ではないだろうか。

『最高の結果を引き出す質問力』(茂木健一郎著)に、興味深い話が紹介されている。数学で「フェルマーの定理」という難題があり、1994年にイギリスの数学者が証明に成功したが、今でも名前が残っているのはこの問いを立てたフェルマーの方だという。つまり、世界では「問題を解いた人」よりも「問題提起した人」の方が偉いとされているのだ。

また、実際にイノベーションを起こした企業には、必ず「なぜ」「どうすれば」がある。どうすれば効率化が図れるかと考えたTOYOTAの「カイゼン」や、失敗作だった粘着力の弱い接着剤をどうにかしてしおりに応用できないか考えた「ポスト・イット」などはいい例だろう。

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日本社会においては、いかに早く正解が導き出せるか、いかに多くの知識を持っているかが評価されがちだ。しかし、これからますますAIが台頭するという時代に、それらは以前ほどの価値を持たない。

代わりに、これからは“どれだけ多くの問いを立てられるか”が大切になってくる。そのためには、そもそも問いを立てようという意志がないといけない。しかし、我が子を含め、多くの子は幼い頃の「なぜなぜ期」にその芽を摘み取られているのかもしれない。

というのも、当時の私は慣れない育児に手いっぱいで気持ちの余裕がなく、息子の質問にさっと答えてしまうか、「知らない」とあしらうしかなかったからだ。当時の私に、「なぜだと思う?」と聞き返したり、答えを導くための手立てを与えたりする余裕があればよかったと思うが、後悔先に立たず。

シングルエイジを過ぎ、反抗期の入り口に立った息子が、たまに「なんで?」と聞いてくることはあるにはあるが、私がヒントを与えようとすると、それがまどろっこしいようで「もういい」と、そっぽを向かれてしまう。

「どうすれば」息子が自ら問いを立てて、解を探すようになるのかを考えるのが、今の私の課題だ。

この記事を書いたひと

ライター:木下真紀子様

木下 真紀子
(きのした まきこ)

コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。