“ゲーム”よりも“体験”を

ここ数年、クリスマスのたびに繰り広げられる攻防――。

小4の息子はゲームが欲しくてたまらない。去年もサンタさんに「スイッチが欲しいです」と手紙を書いていた。しかし、息子のこの願いは今年も叶わなかった。私が叶えなかった。

我が家では息子が赤ちゃんのころからいまに至るまで、極力テレビは見せていないし、ゲームなんてもってのほか、という教育方針を貫いている。それでも、息子が友達の家でゲームをするのまでは止められない。小学校でもゲームを持っていない子はもはや少数派。息子は「ゲームが欲しい」と必死に食い下がってくる。

実は私自身が、テレビもゲームも制限された環境で育った。テレビは1日30分まで。本当に見たいものだけを見て、番組が終わったらすぐに消すように言われる。もちろん友達との話題についていけないこともあったが、いまとなってはそんなことはどうでもいい。社会人になってからも、「なんとなくテレビをつける」という習慣がなく、むしろ親には感謝している。

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我が家のこの教育方針を人に話すと、「それは親が大変ですね。ゲームはさせないに越したことはないから、これからも頑張ってください」と応援されることが多い。

そう。一人っ子の我が家は、親が子どもの相手をしないといけない。テレビやゲームに子守を任せたらどんなに楽かと、よく思う。けれども、せっかく家族や友達といる時間までも、それぞれのゲーム機をのぞき込んでいる子どもの姿を見るにつけ、その思いは消え去る。その姿はどう見ても健全ではなく、子ども本来の姿に見えないからだ。

とはいえ、頭ごなしにダメだとは言わないように心がけているので、息子には小学校の講演会で聞いたことを話すようにしている。

曰く――実はゲームをやっている間は脳がスリープした状態になる。つまり、脳はまったく使われていないのと同じ。さらには大人たちが知恵を絞って夢中になるように、興奮するように、と作っているので、一度ゲームをしだしたら止められなくなるのだと。

そして私の正直な気持ちとして、こんなことも言ってみた。

「そもそも、お母さんはこれまで生きていて『ゲームのおかげで人生がいい方に変わった』『あぁ、ゲームをやっていて本当に良かった』と言う人には出会ったことがないよ」

すると息子はふっと笑い、あっさり「そうやね」と言うではないか!! これには拍子抜けした。結局息子はサンタさんにゲームをお願いしているのだが、なんとなく私の言わんとするところはわかってくれたと信じている。

と言いつつ、去年は私も揺れ動いた瞬間があった。新聞に、ゲームにまつわるコラムが載っていたのだ。

コラムを執筆した記者は、子どものころ親にねだってゲームを買ってもらったものの、しばらくすると飽きたそうだ。一方、我が家と同じようにゲームを与えられなかったクラスメイトは、ゲームに対する執着が断ち切れず、社会人になってから買ったゲームにすべての余暇を費やしていると言う。

「仕事から帰ったらゲーム。休日もずっと家にこもってゲーム」の言葉に身震いがした。息子が大人になってゲーム障害になったらどうしよう・・・。やはりある程度はゲームもさせておいたほうがいいのだろうか・・・。

しかし、この思いもまたそのあと出かけた旅行で、一気に消え去った。

3家族で出かけた旅行。自然あふれるパークの新しいコテージには、贅沢なジャグジーはついているけれどテレビはない。そんな環境の中、子どもたちは暗くなるまでコテージ横のアスレチックで遊び、夜は全員でお風呂に入って大はしゃぎ。そしてカードゲームで大盛り上がり。一緒に行ったお母さんたちも、「ゲームがなくても十分楽しめたね」「子どもにはこんなふうに遊んで欲しいよね」と言っていた。

やっぱり“バーチャル”よりも“リアル”だ。そして、“ゲーム”よりも“体験”だ。今年のクリスマスにはまた同じ攻防が繰り広げられるかもしれないが、我が家は我が家の方針を貫こう。

この記事を書いたひと

木下 真紀子
(きのした まきこ)

コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。