紙と画面の文字が違うって!?

いつものように迷惑メールが来た。某ショッピングサイトを名乗ったメールで、本文には不自然な日本語でこう書かれていた。

「残念ながら、あなたのアカウントを更新できませんでした。これはカードが期限切れになったか。請求先住所が変更されたなど、さまざまな理由で発生する可能性があります。」(一部抜粋、原文ママ)

突っ込みたいところは多々あったけれど、「期限切れになったか。」の一言がおかしくて、スクリーンショットとともにFacebookにアップしたところ、ある人が「文章の切り方が残念ですね」というコメントをくれた。

私は、この手の文章は日本語が得意でない外国人が作っているとばかり思っていたので、なんて乱暴な日本語なんだ!と面白がっていたが、よくよく読むと“アカウントを更新できなかった理由”として、“カードの期限切れ”と“請求先住所の変更”が並列で挙げられていると読めなくもないことがわかった。

いつも思うことだが、なぜこの手のメールの送り主はきちんと校正しないのだろうか。まぁ、正しい日本語になれば騙される人も増えるかもしれないので、それはそれで考えものだが。

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先日、ライターと、校正の専門家と話すことがあった。ここでの校正とは、簡単に言うと日本語のチェックである。

仕事として文章に携わる私たちが、普段どのようにして校正をしているのかという話になった。何度も見直すのは当然のこと。さらに、「横書きで入力したものを縦書きに直して読む」「ワードの音声読み上げ機能を使う」などという意見が出た。

一般的に横書きは感情に、縦書きは理性に訴えると言われているほか、横書きでは問題ないと思われた文章も、縦書きにすると句読点の打ち方に違和感があるということがある。また、「書いた」文章を耳で「聞く」ことで間違いに気づくこともある。文章とは実にデリケートな代物なのである。

そして、その中の一人が「プリントアウトして読む」と言った瞬間、三人の声が「あー!」と揃った。確かに私も文章を書いた後はその作業をしている。これまた不思議なことに、画面で見る文章とプリントアウトした文章とではまったく違って見えるのだ。画面上では見落としている間違いも、出力して初めて気づくということが多々ある。

何も原稿用紙に万年筆、という時代に戻れと言うわけではない(そもそも私もライティングはすべてパソコンだ)けれど、著名な作家の中にはいまだにそのスタイルを貫いている人もいると聞く。やはり紙に書かれた文字というのは何らかのエネルギーを持つのであろう。

これについては、なかなか興味深かったので調べてみたら、紙の文字と画面の文字とでは、光の性質が異なるため脳のモードが変わるという記事を見つけた。前者は能動的に、後者は受動的になるという。経験上あながち間違っていないと感じた。

近年、電子書籍市場規模は拡大の一途をたどっている。読者数の低迷にあえぐ新聞社も電子版を出すところが増えた。今どきの中高生は紙の辞書を持たず、電子辞書を使っている子がほとんどだろう。

まさかここ数年のうちに、紙の文字が消滅するなどということはないと思うが、手紙を書く人が減ってメールやLINEでやり取りをする人が増えたように、私たちの身の回りからは確実に紙の文字が減っている。

そうなると心配なのは、子どもたちである。文章を書くこと、読むことは、思考力や読解力と直結する。幼い頃から画面の文字を見慣れた子どもたちの脳のモードは、受動的一辺倒になってしまわないだろうか。時代が急速に変化する中で子育てをしている、イチ保護者としてこの問題を注視していきたいと思っている。

この記事を書いたひと

木下 真紀子
(きのした まきこ)

コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。