【親になるということ】 親が安心できる場をつくること

2022年7月29日

娘が幼稚園の年少組のころの話です。

彼女はよく教室を抜け出して園庭にいく子どもでした。ふと気が付くといない。毎日の連絡帳には「気が付いたら園庭の隅でダンゴムシを探していました」とか、「お弁当の時間に葉っぱ(多分お弁当のレタスとか)をもってウサギ小屋にいっていました」などという先生からの連絡が書いてあります。

注意を受けているわけでも、気を付けてくださいと言われているわけでもないのですが、母親としては恥ずかしく、ちゃんと集団生活ができない娘に対しても苛立ちばかり。

その場にいないので、さすがに家で叱ることはしませんでしたが、毎日園バスに乗る前に、「今日は教室を抜け出しちゃだめよ」と言い聞かせていました。それでも脱走癖はなおらず、このまま年中さんになってしまうのかしら……と思っていたのです。

あるとき、園長先生とお話をする機会がありました。私は、どこかのタイミングで娘のことを相談しようと思っていました。なかなか言い出せないでどうしようと思っていたときに、園長先生から、「先日雨が降ってきたときにね、〇〇ちゃん(娘の名前)が園庭にいたの」。

キターっと思いました。これは注意される流れです。覚悟をしていた私に、先生は話を続けます。


「雨が降ってきたからお部屋に入ろう? と呼びかけたのだけれど、彼女は首を振って動かないのよ。どうしたの? と聞いたらね、『あのね、お空から雨がおちてくるのをずーっとみてるの。どこから落ちてくるのかみてるの』と言ったの。私はそうかあ……と言って、しばらく彼女と一緒に空を見上げていたのだけれど、彼女の「知りたい気持ち」は雨で濡れることなんて関係なくしてしまうのでしょうね。だけど風邪ひいてしまったらごめんなさいね」。

この話を聞いて、ルールを守るよりも娘の気持ちを優先してくださった先生に感謝するとともに、「今の彼女には教室にいるよりも大事なことがあるんだ」と気づかされ、気持ちがラクになっていきました。

ほどなく彼女は教室から出ていかなくなり、連絡帳の報告もなくなっていきました。「今」子どもにとって大事なことは何かということは親が意識するだけでなく、そうした状態を受け入れてくれる環境も必要なのかもしれません。

なぜこんな昔のことを思い出したかというと、先日同じようなことがあったからです。

私が活動している市の青少年健全育成事業の中で、就学前の親子を対象とした絵本の読み聞かせ後援会でのことでした。

床にマットを敷いて、親子で座ってお話を聞くようにしていたのですが、1人のお子さんはお話を聞くよりも広い部屋を歩き回る方に夢中。お母さんが何度抱っこして戻しても、また歩いて行ってしまいます。周りのお子さんにちょっかいを出すわけでもなく、騒ぐわけでもなく、ただひたすら歩き回っています。

でも、よく見ると途中で気になったところで立ち止まってじっと何かを見ていたり、読み聞かせの先生の目の前に立ってみたり(先生は笑顔で上手に対応されていました)しています。

お母さんは気が気ではないのでしょう。恐縮してしまって、何度も注意をするのですが、講演の最中なのであまり大きな声も出せません。私たちから見ればほほえましいような光景でも、お母さんにとっては子どもが何かしでかさないかと思っているのです。

私たちスタッフは、小さい声でお母さんに「大丈夫ですから、ゆったりしていてくださいね。自由に歩かせてあげてください」と伝えました。お母さんは下の子を抱っこして読み聞かせに戻り、私たちはその子の様子を見守りました。

けっきょく、最後まで歩き回っていましたが、終わった後もその子は大満足。笑顔でお母さんのそばに駆け寄ります。ああ、こういうことなのか……と私は思いました。目の前の子どもの行動に集中してしまうと、わからなくなってしまうのですね。

私たちが声をかけたことで、別に自分の子どもが迷惑をかけているわけではない、ほかに見てくれる人がいるから大丈夫なんだ、と思ってもらえたことをとてもうれしく思いましたし、遠い昔の自分も、園長先生からみたらこんな感じだったのだろうなと改めて考えたのです。

今、その子には読み聞かせのお話を聞くよりも、不思議な感触がする敷物(やわらかいマットだったので)の上を自分の足で歩くことや人の間を縫ってぶつからないように歩くことの方に興味があったのでしょう。今回の場はそういうことをしても許されるところでしたから、落ち着いて見守るだけで良いのです。

子どもの自主性を尊重するということと、わがままを許すということはもちろん違います。ここの違いはとても大きいですから、いずれどこかでお話できればと思います。

しかし今回のような場合は、自主性に任せるというのが正解なのかなと思いました。子どもは行動が不安定ですから、確かに目を離してはいけませんし、他者との関係を伝えるためには注意をしなければならない場合もあります。

でも、もし周りに誰かほかの人がいて、『大丈夫』と言ってくれたときには、すこし甘えてみても良いのではないでしょうか。客観的にみてみると、意外とたいしたことはなかったりするのです。

ポンと肩をたたいて笑顔で『任せて!』と言ってくれる人たちとの関係をどこまでたくさん作れるか。また、そういう場をどれだけたくさん持つことができるか。子どもが育つために親以外の大人の存在が必要、ということの、ひとつの例でした。

この記事を書いたひと

ライター:吉田理子様

吉田 理子
(よしだ りこ)

1971年生まれ。Windows95発売当時に社会人となり、以降パソコン教室講師やITサポート等の仕事に従事。2005年に企業・学校向けのIT、情報教育を目的とした企業組合i-casket設立。2018年には一般社団法人s-netサポーターズを設立し、主に小中学校にて子供・保護者・教員向けの情報リテラシー、プログラミング的思考に関する講座を行う。そのほか地域ボランティアや主権者教育の活動をボランティアで。趣味は料理と読書。