校則よ、さようなら。

2021年1月15日

 タイの首都バンコクで中高生の呼びかけによるデモが行われ、約1500人が教育改革の実行を訴えたと言う。タイでは髪型や服装の規則が厳しい学校が多く、その不満から教育相の辞任要求にまで発展したというのだから驚きである。

 最近のタイのデモには複雑な背景があるので一概には言えないが、同じように校則に縛られている日本の中高生がデモなど起こしたりしないのは国民性なのだろうか。

 とはいえ、「あるのが当たり前」で、たとえ不満があろうとも「黙って従うしかなかった」校則が、いまや“ブラック校則”と言われるようになって、日本社会でも少しずつ変化の兆しが見えてきたように思う。

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 私が通った公立高校は封建的な校風で、厳しい校則にがんじがらめにされていた記憶がある。中でも覚えているのは、髪を結ぶゴムの色は紺・黒のみだったこと。

 しかし、S先生が担任するクラスの女子には校則違反の色のゴムで髪を結んでいる子が数人いた。S先生のクラスは私立文系のクラスで、比較的受験に対してのんびりしている(ように見えた)から、そこまで締め付けていないのだろうくらいにしか思っていなかったが、なぜかこのことがずっと頭の片隅にあった。

 そして数年後。大学4年生になった私は母校に教育実習に戻った。奇しくも指導教官はS先生。そこで私は思い切って聞いてみた。「先生、なぜあのときクラスの子の髪のゴムの色を注意しなかったんですか?」と。

 その問いに対してS先生は、平然と「そんなことは教育の本質じゃないから」とおっしゃった。このとき、S先生が在校生からも卒業生からも慕われている理由がよく理解できた。そしてこのやりとりは、その後S先生と同じように高校教諭となった私の指針となった。

 そもそも校則は何のためにあるのだろう。教員を経験したいまもよくわからない。いや、正確にはよくわからない校則 “も” 存在すると言ったほうが正しいだろう。それは服装に関することが多い。

 それでも私は、高校教諭をしていたときは生徒の服装違反を厳しく指導していた。それは、校則の順守とは違った観点からである。

 学生の本分は勉強だ。最低限の身だしなみを整えることは大切だが、それ以上の“おしゃれ”は学校で過ごす時間には必要ない。休日にいくらおしゃれをしようと構わないが、学校にいる時間だけは、限られた3年間の中でしかできない勉強や部活、生徒会活動などに熱中してほしいと考えていた。

 私は、生徒のおしゃれをしたい気持ちを否定しているのではない。中にはおしゃれが好きな生徒もいる。だったら、大学受験を前提とした普通科高校ではなく、そういったことが学べる場所に行けばいいと思っていた。ただ、それだけのことである。

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 2019年、教育現場は大きな変革期を迎えた。それまで横ばいだった通信制高校に通う生徒数が急増したのだ。これは、「中学卒業後は全日制の高校に通う」という価値観が変化していることを表す。また実業家・堀江貴文氏が創設した「ゼロ高等学院」のように、従来の枠には収まり切らない学校も出てきた。

 あらためて校則について考えたとき、はたしてこれからも校則は「あり続ける」のだろうか。今後オンライン化やグローバル化が進み、家にいながらにして学ぶスタイルを選択する子どもも増えることが予測される中、校則は「あり続けることができる」のだろうか。

 もし子どもたちが本当に学びたいことに没頭できたなら、大人の考える“無駄なこと”に時間を使うより、やりたいことに時間を使いたいと思うはずだ。校則で子どもを縛るのではなく、校則違反をする気も起きないほど学ぶことに夢中になれる環境を整えてやるほうがよほど生産的だ。

 中高生の「学び方」が多様になる中で、「教育の本質」とはかけ離れた無意味な校則がなくなることは、教師・生徒・保護者にとっても望ましいと思う。


■この記事を書いたひと
木下 真紀子(きのした・まきこ)
コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。