これまでとこれからと――教育の「いいとこ取り」の勧め

2021年1月15日

 大学を卒業する春に、友達と二人でアメリカ縦断の旅に出た。最初に訪れた都市は確かニューヨークだったと思う。絵画を見るのが好きな私は、一番にメトロポリタン美術館に足を運んだ。初めて訪れたメトロポリタン美術館は、想像をはるかに超える大きさで、外見はまるで神殿のよう。小規模の福岡の美術館しか知らなかった私は、ただ圧倒された。

 エントランスに一歩足を踏み入れると、美術品の鑑賞に向かう多くの人たちの姿が見えた。私たちも教科書で見た美術品を中心に見て回ろう!と張り切っていたが、何しろ時差のせいで眠くてたまらない。いくつかの部屋をのぞいた後、ちょっと休もうかと腰を下ろした中庭のようなところのベンチで、なんと私たちは不覚にも深い眠りに落ちてしまった。

 1時間経ったころだろうか。ふと目が覚めた。そしてお互いに顔を見合わせて、海外でパスポートを持ったまま寝てしまった自分たちの不注意さを笑った。「日本の美術館で寝ている人なんかいないよね」と言いながら、元気を取り戻した私たちは再び館内を歩き出した。

 世界三大美術館と称されるだけあって、メトロポリタン美術館は通路も広く、美術品もゆったりとした間隔で展示されていた。そこで私は思いがけない光景に出会った。現地の学生たちが、思い思いの格好で通路に陣取り、絵画のスケッチをしていたのだ。寝てしまった私が言うのもなんだが、美術館の通路で寝転んだり、座ったりしている人を見たのは初めてだった。

 そこではたと気がついた。それまで私が訪れた日本の美術館の展示室は、薄暗く狭い通路に矢印があり、ゆっくり見たい展示品の前でも人の迷惑にならないように先を急がないといけなかったし、ましてそこで座ることなど絶対に許されなかった。さらには、順路通りに進むよう求められ、後戻りができないところばかりだった。

 だからこそ、メトロポリタン美術館で目にした学生の様子は、私にとって大変な驚きだった。当時から教員志望だった私は、驚くと同時に日本とアメリカの教育制度の違いに思いを馳せた。

 足並みを揃え、みんなで同じ順序に従って同じペースで進むようになっている日本。集団としてある程度の質の向上は望めるが、出る杭は打たれるので傑出した才能の持ち主は出てきにくい。

 入口と出口だけが決められ、思い思いの順序で思い思いのペースで進むようになっているアメリカ。個人の責任が問われると同時に、各人の裁量が認められている。

 どちらがどうというのではなく、「この違いは大きいな」というのが22歳の私の感慨だった。

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 2020年、新型コロナウイルスの出現により、思いがけないスピードで社会全体のオンライン化が進んだ。当然のことながら、日本の教育システムもこれにより大きく変わると予想される。実際のところ、オンラインの動画教材は利用者数を伸ばし続けている。

 オンラインの動画教材の優れたところは、自分の学びたい順で動画を見ることができるし、気になれば何回でも同じ動画を視聴できるところだ。逆に自分は興味がないと思えば、その単元の動画を飛ばすこともできる。これは、かつての私が見たメトロポリタン美術館での光景と相通じるものがある。つまり、従来の日本の教育システムの対極にあるものである。

 従来の教育システムに乗っかって育ってきた私からすると、新しい教育システムで育つ子が将来どのようになるのか皆目見当がつかない。ただ、これまでの歴史を鑑みても、振り幅が大きいほど揺り戻しも大きい。従来の教育システムを堅持する必要はないが、一足飛びにオンライン化してしまうことにも不安を覚える。ここはひとつ教育関係各位がこれまでの知見を出し合い、従来の教育システムと新しい教育システムの「いいとこ取り」をしてほしいと願うばかりである。

■この記事を書いたひと
木下 真紀子(きのした・まきこ)
コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。