【授業のためのICT入門】認識の違いを理解する
みなさんはスマホにインストールするプログラム(例えば画像加工や、メールや、ゲームなど)を何と呼びますか? 一般的には「アプリ」と呼んでいると思います。では、パソコンにインストールする同様の機能を持ったプログラムはなんと表現するでしょう。Windows10あたりからパソコンを使い始めた人はスマホと同様に「アプリ」だと思いますが、それ以前の方々は「ソフト」と呼んでいるのではないでしょうか? もちろん、私はソフトです。
私が社会人になってからの最初のお仕事は、パソコン教室の講師でした。その当時Windndows95が発売され、森喜朗元首相が提唱したe-japan構想による全国的なパソコン教室ブームが起こっていました。何しろみなさん初めてですから、最初は「パソコンのしくみ」からご説明します。モニタ(ブラウン管!)やキーボード、パソコンの本体の中にあるメモリやCPUは「ハードウエア」で、それとは別にコンピュータを動かすOS(オペレーティングシステム/基本ソフトウエア)と、ワープロソフト、表計算ソフトなど、特定の用途や目的のために作られた、アプリケーションソフトウエアという種類のプログラムがあり、OSの上で動く。それがソフトウエアだという説明をしてきました。
ハードウエアという触れるものに対する、触れないソフトウエア。ハードという概念があってこそのソフトなのです。ですからいま、様々なデバイス上で働くプログラムに対しても、呼び方がいま風になっただけだという認識でいたため、私自身はなんとなく「ソフト」と呼んでいました。イメージとしては、セブンイレブンを「セブン」と呼ぶか、「イレブン」と呼ぶかくらいの気持ちです(ちなみに私はイレブンと呼びますが、子どもたちはセブンと呼びます)。
ところが先日こういうことがありました。私は毎年市内の看護学校で情報科学の講座を受け持っています。その授業の際、何気なく「ブラウザたちあげて」と言いました。すると生徒から「ブラウザって何ですか?」という質問がありました。そうか、いまどきはパソコン使わないからブラウザなんて知らないよね、と思い、「ごめんごめん、ホームページ開いて」と言い直しました。
すると重ねて、「先生、ホームページって何ですか?」という質問です。これにはびっくりしました。IT系の専門学校ではないですから難しい言葉を知っていなくてもよいと思うのですが、ホームページくらいは知っているだろうと。
ふざけてからかわれているのかしらと思ったのですが、ふざけるタイプの生徒でもありません。クラス全体の雰囲気も、特別おかしな感じではありませんし、その質問に対して失笑がおこるわけでもないのです。「あのね、Edge、青くてアルファベットのeみたいなアイコンをダブルクリックしてね」と伝えたところ、「ああ、アプリですか」と。ここで、再度私はびっくりしました。
つまりこういうことです。私が何かネットで検索をしようと思ったら、
・インターネットの情報を見るときはパソコンやスマホなどの機器を使う
↓
・検索するためにホームページにアクセスする
↓
・ホームページを見るにはブラウザ機能を持つソフトウエアが必要
↓
・ブラウザソフトウエアには種類があって、いま使っているパソコンには〇〇がインストールされている
↓
・ホームページを見たいので、〇〇を起動する
というように動きます。
しかし、スマホからITの世界に触れ始めた人たちにとっては、
・調べたいから、スマホを使う
↓
・検索はtwitterか、Yahooか、Googleか、safari(全部アプリ名)を内容によって選んで起動する
となるのです。「機能」だけで使うプログラムを選んでいて、それがホームページなのか、データベースなのか、何なのかといった「しくみ」については概念そのものがないのだな、と思いました。
私にしてみれば、twitterもYahooもYouTubeもすべてホームページです。でも彼らにとってはそうではない。だから、「ホームページって何ですか?」という質問につながるのです。スマホを使うときはアプリだけれど、パソコンを使うときはソフトでしょ? 最近はソフトじゃなくて、アプリって言うんだねえ……という感覚では、ハードウエアの対極にあるソフトウエアということではなく、純粋に機能するかどうかで選んでいる――だからソフトではなく、アプリなんだという感覚を理解できません。これはとても難しいことだと思いました。
なぜ難しいかというと、私たちがまったく想像しない受け止め方をしている人たちに、授業でICTとは何かを伝えなければならないからです。すでに「ホームページ」という概念がない人たちに、ネットで検索をすることの意味をどう伝えるのでしょうか。もちろんホームページの話はたとえの一つです。私たちの発想が古く、間違っているのではありません。知識的には正しいのですが、正しいことを正しく言っても伝わらない可能性があることを理解したうえで、伝え方を間違ってはいけないということなのだと思いました。
ある人が若い先生から「子どもたちが自分で自発的に学び始めるアプリはありませんか?」と質問されたそうです。そんな機能があるプログラムをどうやって開発するのでしょうか。私にはわかりませんが、でもこれが現状におけるICTというものの受け止められ方なのだと思います。
自分が思っていることがうまく伝わらないようだ……思っているようなICT活用ができない……と思うことがあったら、いまの若者たちがどのような感覚を持っているのかぜひ調べてみてください。また、若い方は、なぜ年上の人たちに自分たちの意見が伝わらないのかをやはり考えてみてください。同じことを問題と感じているのに、捉え方や表現が違うだけかもしれません。ICTを「文房具として」「ツールとして」使うという発想について、共通の感覚を持ち続けるための努力を続けたいと思います。
この記事を書いたひと
吉田 理子
(よしだ りこ)
1971年生まれ。Windows95発売当時に社会人となり、以降パソコン教室講師やITサポート等の仕事に従事。2005年に企業・学校向けのIT、情報教育を目的とした企業組合i-casket設立。2018年には一般社団法人s-netサポーターズを設立し、主に小中学校にて子供・保護者・教員向けの情報リテラシー、プログラミング的思考に関する講座を行う。そのほか地域ボランティアや主権者教育の活動をボランティアで。趣味は料理と読書。