子供たちはなぜ塾に行くのか? それは自分の居場所があるからだ!

 長い間、塾業界に身を置いて仕事をしていると、ときどき明らかに「一人でも勉強できる」タイプの子が入ってくる。もちろん、その子なりに悩みや間違った勉強の仕方によって伸び悩んでいることも多いので塾に来てもらい、指導をする。ただそういった子が勉強ができるようになったからといって塾を辞めることはない。

 そう考えると、学力向上以外にも塾の存在意義はありそうだ。むしろ、それ以外の役割の方が大きいかもしれない。

 子供たちと話していると、うちの塾生は「塾、大好き!」という子が多い。塾長の私がいて、決まった教室があって、決まった仲間がいる。子供たちにとって塾はどうも生活の一部になっているようだ。塾に行くのは当り前、塾に行かないのはつまらない。みんなと一緒にいたい。勉強は嫌いだけど、行けば誰かが待っている。

 「勉強」という共通項をもった仲間が集合している。それが、塾。

 誰かがいつもより来る時間が遅れれば「なんか、今日、あいつ来るの遅いね」と心配し、遅れた方も「待ってたよ」と言われて、何だかちょっぴり嬉しい。そんな仲間。来るのが当たり前、行くのが当たり前。自分を受け入れてくれる場所。そういった場所があるだけで、心が落ち着くのだろうと思う。「ここにいても良いのだ、いや、いなければならないのだ」。

 うちの塾は個別指導なので、おとなしい生徒もいる。なかなか自分からは話しかけられない子もいる。そういった子供たちでも言える言葉は「ありがとう」。塾にいただいたお土産のお菓子や差し入れは、私が決めた配給係が給食当番という名のもとに一人ひとりに配って回る。そのときに「どの味がいい?」とか「どれが好き?」といった会話が生まれ、もらった方は「ありがとうございます」と言う。ちょっとしたことだけど、会話はとても大事だ。

 これは、学習でも言える。私は子供たち同士でよく教え合いをさせる。私が教えたままに再現しながら、友達に教えていく。そして、最後の生徒は私に教えるのである。恐怖のロシアンルーレット。なかなか説明ができない子をできる子がサポートしたり、どちらもわからなくなって私に一緒に聞きに来て、二人並べて教えたり。そんなこんなをしていれば、必ず会話が生まれる。

 ピーンと張り詰めた塾にはならないけれど、ちょっとうるさくなるけれど、子供たちは楽しそうに教えているし、教えるために質問もしてくる。「ここってどう言えばいいのかな? アイツがわかってくれない!」と言いにくる。「だって、コイツのこの言い方はわからない!」と教える方、教えられる方の二人して言いにくることもある。こうして同じ問題を二人で共有して、解決していく。

 ひとつの問題を介して時間を共有し、私のつまらない昭和のギャグにツッコミを入れ、笑いを共有する。ときにはそんな中でお悩み相談もある。学校では言えないこと。家では言えないこと。大人には言えないことなど盛りだくさん。子供たちは毎日多くのコミュニケーションを取っている。

 こういった関わりの中で、相手を知り、知ろうとする。そしてまた、自分を省みて、自分を知ってもらおうとする。塾とは、勉強というコミュニケーションを通して自分の存在を知り、相手の存在を知る場所なのである。

 そして、そういった日々の教室が彼らの戻る場所になっていって欲しい。中学時代を振り返るとき、「あのとき塾で楽しかったよね。先生元気かな?」なんて、帰る場所として懐かしむ場所として心に残って欲しいと思う。これは子供たちがリアルで教室にいるからこそ、可能なことである。

 でもこれだけでは終われない。このコロナ禍の中、私たちは「オンライン授業」という武器を手に入れた。この武器を使って、いままで塾がなく一人で勉強している子供たちにも、リアルのときのような温かみを届けたい。場所を越え、子供たちの居場所を作ること。それが今後の私の役割になる。

この記事を書いたひと

松本 正美
(まつもと まさみ)

「学ぶ力は、夢を叶える力!」松島修楽館代表。中学3年生の時に「将来は塾の先生になる!」と決意し、大学1年生から大手個別指導塾で教務に就く。卒業後、そのまま室長として10年間勤務。その後、新興のインターネット予備校で生徒サポートの仕事に携わった後、2013年に松島修楽館を開業。単なるテストのための勉強だけではなく、「どんな夢でも、正しい努力によって叶えることができる」ということを子どもたちに伝えるため、根本的な「学ぶ力」を育むことを重視した指導を行っている。2人の高校生の母。趣味はサックス、タップダンス。

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Posted by 松本正美