ことば vol.2「大丈夫」

 以前、ビジネスパーソンを対象に敬語と日本語の講座を開催していた。間違った敬語の事例から、巷でよく耳にする間違った日本語まで、社会人としてふさわしい言葉の基礎知識を身に付けてもらうという内容でお話ししていた。

 その中でも特に私が熱く語っていたのは、「大丈夫」であった。みなさんも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか、こんなやり取りを。

「お冷やをおつぎしましょうか?」

「大丈夫です」

 大丈夫というのは、もともと「危険や損失・失敗を招く恐れがないと断定できる状態」を指す(三省堂「新明解国語辞典」)。言うなれば、「安心」「安全」「ノープロブレム」という意味だ。

 しかし、数年前から上記のような異なる意味で使われることが多くなった。上記の意味は「ノーサンキュー」といったところだろう。

 言葉は生き物である。これは昔から言われていることであり、文学部だった私もそのような事例を多く目にしてきた。かつて否定的な意味でしか使われなかった「やばい」が、いつの間にか肯定的な意味を持つようになったように、おそらくこの「大丈夫」もちょうど過渡期にあるのだろう。

 しかし、私の中では「やばい」と「大丈夫」はちょっと位置づけが違うのだ。「やばい」は昔も今もかしこまったビジネスの場面では使われないのに対し、「大丈夫」はビジネスの場面でも使われることが増えてきたからだ。例えば打ち合わせの約束をするときのメール。

「○月○日○時に、貴社に伺おうと思いますが、いかがでしょうか?」

「大丈夫です」

 相手の「大丈夫です」を見るたびに、私は毎回心もとなくなる。この場合の「大丈夫です」は、こちらの提案通りでいいという意味なのか。はたまた、来てもらうのは申し訳ないので来なくていいという意味なのだろうかと。

 そもそも、「大丈夫」に新しい意味がもたらされたのは、そんなに古い話ではない。

 元来私たち日本人は相手を(おもんぱか)り、(これも今風に言うと「忖度(そんたく)」だろうか)、物事をはっきり言わない文化がある。だから、人から何か提案されても、はっきりと断るのが憚られるので「大丈夫です」という婉曲表現が普及してきたと言われている。

 背景を知れば納得するところもあるが、やはりこれはミスコミニケーションの原因になるのではなかろうか。特に世代が上になればなるほど、この新しい「大丈夫」の使い方に違和感を覚える人は多い。新しい使い方を知らない方も少なからずいるだろう。

 コロナ禍において、私たちの社会は急速に対面の機会が制限され、メールやSNSを介してのやりとりが以前よりも増えた。

 しかし、文字だけのコミュニケーションには限界がある。文字には、声のトーンや表情、ジェスチャーといった、非言語的な情報が含まれない。だからこそ、私たちはそれを「絵文字」で補ってきたが、ビジネスのやり取りにおいて絵文字というのは適していない。

 言葉というのは日常的なものでありながら、非常に繊細なものである。対面が叶わない今だからこそ、自分の使っている言葉がミスコミニケーションを引き起こさないか、私たちは慎重に言葉を選ぶ必要がある。

 また、コロナ禍がもたらした社会の変容は、たとえコロナが収束しようとも決して後戻りはしない。「ニューノーマル」を生きる私たちは、これまで以上に繊細なコミュニケーションが求められるだろう。

 と言いつつ、あまりにも「大丈夫です」を見聞きしすぎて、最近ではどれが正しい用法かわからなくなってしまった私がいる。こうして、言葉の変化は市民権を得ていくのかもしれない。

この記事を書いたひと

木下 真紀子
(きのした まきこ)

コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。