ことば vol.3 手に入れるべき武器

インターネットで「人類最大の発明」と検索すると、実に様々なものが出てくるが、私は何と言っても「言葉」ではないかと思っている。

大学の授業で「言葉にならないものはこの世に存在しない」と聞いたとき、いたく納得したことを覚えている。教授曰く、「昔は『セクシャルハラスメント』という言葉がなかったから、職場などで嫌な思いをしても、それを何と言っていいのかわからず、抗議もできなかった。ところが、『セクハラ』という言葉が入ってきた途端、『あぁ、これはセクハラなんだ』ということで、声をあげられるようになった」と。

近年は何にでも「ハラスメント」をつけて糾弾する風潮があり、それはそれでいかがなものかと思うが、言葉が世界の事象を切り取って初めて、人々に認識されるようになるということに異論はない。つまり、言葉を知るということは、この世の様々な「もの」や「こと」を知ることなのだ。私自身も言葉を知ることによって、その概念を獲得したことは枚挙にいとまがない。

さらに、言葉は思考をつかさどる。私たちは、いつでも言葉で物を考え、言葉を伝え合うことでコミュニケーションをとっている。もちろん、写真や図、動画といった伝達方法も存在するが、もっとも手っ取り早いのはやはり言葉だろう。

知っている言葉の数が多ければ多いほど、人は広く深く思考することができる。小さな子どもがあまり物事を考えられないのは、知能の問題ではなく獲得している言葉の数が少ないからだという。また、読書の好きな子が国語の成績がいいとは限らないが、国語の成績がいい子の多くは読書経験が豊富だ。やはり、多くの言葉を知り、広く深く思考しているからだろう。

ビジネスで成功している人は、学歴に関係なく読書量と語彙が豊富な人が多い。私の中では、「理系の人は読書量が少ない」という固定観念があったが、それも一定のレベルを超えるとまったく関係のないことであった。たとえ理系の大学を卒業していても、文系と匹敵するくらいの読書量を持っているのである。

***

21世紀はインターネットの普及とともに生活が大きく変化した。ネットを使うことができれば、子どもでもお金を稼ぐことができるという、かつてない時代がやってきた。しかし、これはネットを使うことができれば、誰でも稼げるということを意味するわけではない。必要なのはアイデアだ。そして、そのアイデアの源泉は「思考」、すなわち「言葉」なのである。

親なら誰しも、子どもの幸せや成功を願う。幼いころから英才教育を施したり、塾に通わせたりするのは、その気持ちの表れだろう。しかし、どんなにお金と時間をかけようとも、語彙と文章力がなければそこには限界が生じる。そしてそれは、今後ますます社会のイノベーションが進む中、致命傷となりうるのだ。

もし我が子の幸せや成功を望むのなら、遠回りに見えてもまずは語彙力と文章力を身に付けさせてほしい。何も特別なことをする必要はない。ただ、親子の会話を増やすだけで十分! 学校であった出来事をきちんと文章にして話をさせる。音読のときに、言葉の意味がわかっているか確認をする。たったそれだけでも、子どもの語彙力や文章力は飛躍的に伸びる。

ここで注意してほしいのは、どんなに高尚な内容であっても、テレビ番組を見せるだけでは語彙力や文章力は身に付かないということ。おそらくインターネットの情報も同じことだろう。一方的な情報はあまり身にならないのだ。残念ながら子育てに近道はないと肝に銘じて、地道に子どもの語彙力と文章力を身に付けることに努めてほしい。

この記事を書いたひと

木下 真紀子
(きのした まきこ)

コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。