人間は10年後もライターでいられるのか?

私はいまコンセプトライターとして、事業主の思いをヒアリングし、ホームページやリーフレットに載せるための文章作成をしている。

おもしろいことに、「AIの発達によってなくなる仕事」の中にライターがあるかと思えば、「なくならない仕事」の中にもライターがある。一体どっちなの!? という話だ。

実はすでにAIは文章を作成し始めている。日本経済新聞社は2017年からAI記者の利用を開始しているし、朝日新聞も2019年に新聞の見出しを自動生成するAIを公開している。どちらも原稿作成まで10秒足らずというから、速さにおいては人間がかなうはずもない。

さらにさかのぼれば、2015年にはAIが書いた小説が文学賞の一次選考を通過している。文章は人にしか書けないといけないと思っているのは、どうやら人間だけのようだ。

では10年後、ライターの仕事はなくなるのだろうか。

正常性バイアス(自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人間の特性のこと)が働いているのかもしれないが、私はなくならないと思っている。

一つ目の理由は、私がやっているようなライティングは、文章力にも増してヒアリング力が重要だからだ。クライアントさんの心を開き、思いを深掘りし、そこから強みを引き出し言語化していくには、想像力やコミュニケーション力が必要であり、これらは現時点ではAIが不得手とする分野である。

思うに、AIは「創造」「予測」はできても、「想像」ができないのではないだろうか。例えば、チェスや将棋でAIが人間に勝ったというニュースを見かけるが、それはあくまでもデータを蓄積、分析、「予測」した結果である。先ほどAIの小説を取り上げたが、それも数多くの文学作品を蓄積、分析、「創造」した結果に過ぎないと思っている。

AI と言えば、いつシンギュラリティー(AIなどの技術が、自ら人間より賢い知能を生み出すことが可能になる時点を指す言葉)が来るのかということが話題になるが、先日読んだ本にはまだまだ来ないと断言されていた。なぜなら、AIが優れているのは“一つの分野”についてであり、それが人間のように“マルチな思考”を持つには、まだまだ時間がかかるからというのである。

二つ目の理由は、AIが「感情」や「道徳」を持ち合わせていないからだ。ヒアリングをしていると、ときにクライアントさんの心の闇や傷に触れてしまうことがある。そういったとき、人間の書き手であればそれをそのまま文字にするのではなく、あえて触れなかったり、あくまでも「伏線」にとどめておいたりする。しかし、AIには感情がないため、そういった「配慮」や「含み」を期待するのは難しい。

AIはディープラーニングをすることによって、膨大な情報を瞬時に解析して文章を作成することはできるが、その内容については関与しない。つまり、人間が読むと道義的、感情的にどう感じるのかということは、AIには判断できないのだ。

ライティングの話からは逸れるが、AI医師の診断はかなり正確であるものの、余命いくばくもない患者にそのことを伝えるべきかどうかの判断はできないと言われている。下手をすれば、「正確な診断結果」を「冷酷に」本人に伝えてしまう恐れがあるのだ。人間の医師であれば、まずそんなことはしないだろう。

つまり、天気予報の記事や工業製品の説明書といったライティングに関して言えば人間はAIに勝てないが、人の心の機微に触れることに関してはまだまだ人間の方が優勢ではないかというのが私の結論だ。

とはいえ、年々AIのできることは飛躍的に増えている。よって、私たち大人世代だけでなく、これからを生きる子どもたちにこそAIにはできないことを身に付けさせる重要性を痛感する。

この記事を書いたひと

木下 真紀子
(きのした まきこ)

コンセプトライター。14年間公立高校の国語教諭を務め、長男出産後退職。フリーランスとなる。教員時代のモットーは、生徒に「大人になるって楽しいことだ」と背中で語ること。それは子育てをしている今も変わらない。すべての子どもが大人になることに夢を持てる社会にしたいという思いが根底にある。また、無類の台湾好き。2004年に初めて訪れた台湾で人に惚れ込み、2013年に子連れ語学留学を果たす。2029年には台湾に単身移住予定。