アクティブラーニングのカギは先生にあり!

2021年9月15日

娘の通う高校で中間や期末のテストが近くなると、決まって娘から指導依頼が来る。私は文系大学出身なので、理系科目は教えることはできないが、文系科目であれば定期テストくらいは対応可能だ。少しずつ娘も成長し、指導依頼が減って来てはいるものの、まったくゼロにはならない。

しかし今回、ぱったり指導依頼がない科目があった。それは「現代国語」だ。いままでは、教科書に書いてあること、学校で書き写してきた板書の意味がわからず、丁寧にかみ砕いて説明をしていた。それが2年生に進級してからというもの、気が付けば現代文の説明をした記憶がない。どうしたことかと娘に尋ねると、現代文は「アクティブラーニング」つまり「話し合い形式」で学習をしているとのこと。

先生が投げたお題に対し、チーム分けされた生徒たちが意見を出し合う。それぞれのチームでまとめ上げ、「マナ・ボード」と呼ばれるボートに書いて発表をする。それを先生が〇×△で評価し、×や△だった意見については再度話し合って意見を練り上げていく。そして答えが完璧なグループの評価がその科目の評価になるようだ。

自分たちが一度は行きついた考えや、思いもよらなかった考えなど様々な意見が貼り出され、多種多様な意見に触れる。そして、それらについて先生が解説をしていく。かなり、先生の力量が問われるやり方だ。

しかしこの取り組みの中で娘は、間違いを恐れず自分の意見を出したり、他の人が出した間違った答えに対する訂正説明を聞くことで、自分なりに理解を深めているようだ。様々な意見に対するコメントはほぼアドリブになるだろうから、これをまわしていく先生はさぞ大変だろう。

私自身が中学生や高校生だったころ、現代文の授業はごく一部の人しか聞いていなかったように思う。みんな「退屈だ」と言っていた。確かに退屈ではあったが、私は国語が好きな科目だったので真剣に聞いていた。私は例外のタイプだったようで、ときには職員室に呼ばれ、「どうしたらみんなが授業を聞いてくれると思うか?」と意見を聞かれたこともあった。

それくらい国語の授業は、生徒にとって退屈な時間の一つだった。もちろんすべての先生の授業がそうだとは言わないが、多くの生徒にとっては退屈な時間なのかもしれない。それゆえ、娘からテスト前に現代文の指導要請があるのも当然のことと受け止めていた。

この退屈だった時間が「楽しい」時間となり「深まる」時間に変貌を遂げた。自分事として文章を読むようになったからだと思う。この仕掛けを作り込んだ先生の力量に脱帽だ。

私も前回、SDGsについて2塾合同アクティブラーニングの授業を行った。本当に私の想像を超えた意見や質問が出てきた。質問に答えられずこっそり調べることもあった。後日、子供たちのプリントを集め、どれだけ他の人の意見を聞き、まとめたのか見させてもらった。ただ単に言葉を書き留めるのではなく、自分の気持ちや考えも添えられていた。

こういった取り組みを続けることで、自分の意見を相手に伝える力や相手を理解する力が身に付く。そして、そこに書かれた文章は「何が言いたいのだろう?」と探す力につながる。それが読解力の源になる。

ややもすれば、アクティブラーニングは単なる子供たちの雑談タイムになりかねない。実際にそうなってしまってアクティブラーニングが破綻している授業の例も多く聞く。うまく授業運営できる先生と、そうでない先生とに分かれているのが現状だ。これからの子供たちに必要な力を育てるため、ぜひともうまく行っている先生と意見交換をし、公教育の中からも新しい風を吹かせて欲しい。

子供たちはいつの時代も学びたがっているし、知りたがっている。そして、自分の知った知識を発信したがっている。SNSもその一つかもしれない。私たち大人も子供たちに負けないように、相手の意見を聞き、高める努力をしていかなければ!

この記事を書いたひと

松本 正美
(まつもと まさみ)

「学ぶ力は、夢を叶える力!」松島修楽館代表。中学3年生の時に「将来は塾の先生になる!」と決意し、大学1年生から大手個別指導塾で教務に就く。卒業後、そのまま室長として10年間勤務。その後、新興のインターネット予備校で生徒サポートの仕事に携わった後、2013年に松島修楽館を開業。単なるテストのための勉強だけではなく、「どんな夢でも、正しい努力によって叶えることができる」ということを子供たちに伝えるため、根本的な「学ぶ力」を育むことを重視した指導を行っている。2人の高校生の母。趣味はサックス、タップダンス。